へっぽこ・ぽこぽこ書架

二次創作・駄っ作置き場。 ―妄想と暴走のおもむくままに―

『マリアさまがみてる』二次創作SS

鬱金香・5~6

鬱金香・5~6 本文

5.

 そういえば、と私は考える。
 いつごろから、両親と必要以上の会話をしなくなったのだろう。
 父の声をBGMにしながら、私は徐々に増えてくる人工の光を車窓の外に追っていた。
 勉強をしていれば母はうるさく干渉してこなかったし、成績がよければ学校側も、これといって問題視しない。それをいいことに勉強という行為に逃げ込んでいたのは確かだった。
 人と関わるのが面倒くさくて苦痛で、同級生の前では本を読んでばかりいたし、大人たちの前では勉強ばかりしていた。そして一人きりになれば、怠惰で何もしない。私はそんな小狡《こずる》い子供だった。
 足かけ二年にわたる紆余曲折(……というほどのことでもないのかもしれないけど)を経て、さらに心を入れ替えて(これは大げさか・苦笑)リリアン女子大に入学してからは、同世代の人たちはもちろんのこと、両親ともできるだけ接点を持とうと私なりに努力してはみた。しかし両親に関しては、長い時間をかけて作ってしまった溝をすぐに取り払うことは難しかった。
 そして現在の、以前ほどのようなわずらわしさを感じない程度の、必要プラスα《アルファ》な親子交流が、やっとできるようになってきたってところだ。
 理由はいろいろあるだろう。
 ひとつは、母の過干渉に私が心底辟易していて、それを母が気づいてないとか、その気づかなさに時折私がどうしようもなくイライラしているとか。
 結局は私のほうに問題があるのだ。
 どうしたら私は母と、もう少し上手く付き合えるようになるんだろう。
 なにか一つ、きっかけがあったら。そんなことを私はいつも考えていた。
 このままあと二年、大学生の生活が続いて、それから先のことはまだ考えきれずにいた。
 自分は何になりたいのだろう。何ができるのだろう。そして両親とはどういうスタンスでありたいのだろう。
 決めていたことは、どういう未来が待っているにせよ、大学を卒業したら家を出ようということだった。これ以上はどう努力しても、両親との間にできあがってしまっている心理的な隔たりが縮まらないような気がしたから。だったら、もう同じ屋根の下に、無理にいることもないだろう。
 じゃ、今すぐにでも家を出ればいいような気がするけれど、私はそうはしない。
 大学生のあいだは、たとえ二十歳《成人》になったとしても「半人前」なのだ。奨学金を得るには条件を満たしていなかったし、アルバイトをするといっても限度がある。結局は多少なりとも親がかりで生活をすることになる。
 それは嫌だったから。
 それをするくらいならば、あと数年我慢をして、どこでもいいから就職すれば——つまり、収入を得るすべを手に入れれば、それの許す範囲でどこでもいい、安アパートでも借りて家を出ればいい。就職先によっては独身寮があったり、都外の支社とか営業所とかににすっ飛ばされることもあるだろう。それはそれで好都合だ。
 そんなことを考えている私は、やはり小狡い人間なのだ。
 だから、今日父が言ったことは、そんな私の小狡《こずる》い考えを根本からひっくり返して粉々にするほどの破壊力があった。もしかして父は超能力かなにかを持っているんじゃないだろうか?…そう考えてしまうほどには。
 (ひとり暮らし)
 私は心の中で何度目かの呟きをこころみた。
 (ひとり暮らし)
 イメージがわかない。
 問題を先送りにしたことで思考を放棄したツケだろうか。三年前からちっとも進歩していない自分が、ちょっと情けなく思われた。
 しかしそれを嘆いても始まらない。父は今夜、未来の可能性をいくつか提示してくれただけなのだ。それに対して真摯であるべきだが、今すぐ答えを出さないといけないものでもない。
 私はこの問題に対して、一人の時に、かなり真剣に、じっくりと腰を落ち着けて考えてみようとあらためて決心した。そして今は、このドライブを帰宅まで楽しもうと、気持ちを切り替えた。
 こういったことはちょっと時間をおいてやると、あんがい冷静な判断ができるものだし、やっぱり父とのこの時間は大切にしたいから。せっかくの機会を自分の思考で埋めてしまったら、すごくもったいない。
 私はちょっとうつむいて、口元だけで「ふふふ」とかすかに笑った。
 (この場にお母さんがいないのが、ちょっと残念かな。せっかく夜景がきれいなのに)
 そう考えて、私は「おや」と思った。
 自分の中で、なにかがかすかに動いたような気がした。
 窓の外の風景は、忠実に行きを逆トレースしていた。車はまた人工の光をかき分けるように進んでいた。そろそろゴールが近いのだろうか。
 私は「戻ってきた」と思った。心の中に染み入るような懐かしさが、なぜかあふれてきた。それは旅人が自分の戻るべき「家」に帰ってきたときに感じるような、一種の安心感なのだろうか。初めて感じるその感覚が、私にはとても心地よかった。
 もしかしたら、父が話してくれた『祖父』は、仕事を終えて帰宅するたびにこの感覚を味わっていたのかもしれない。それが忘れられなくて、家庭にとどまっていた方がいいと頭で分かっていながら、根無し草のようにあちこちに仕事に行っていたのかもしれない。
 なるほど、確かに私は『爺さん』に似ているようだ。
 父が言ったことが、すとんと私の腑に落ちた。
 なんとなく、そう思った。
 車はよどみなく、家にむかって光りの中を進んでいく。
 ずいぶん遅い時間帯になっているというのに、繁華街はまだまだ眠りにつく気配はなかった。24時間営業のコンビニエンスストアや、ファミリーレストラン、和食系のファーストフード店の他に居酒屋や深夜営業の本屋なんかが、軒を連ねてピカピカと、自分の存在を行き交う人たちにアピールしている。
 私はそんな店々に、ケーキ屋とか果物屋なんかも混じっていることに、少なからず驚いた。こんな時間まで開いているということは、それなりに需要があるということだろうか。私は窓の外を見ながらつぶやいた。
「ケーキ屋さんとかも、こんな時間までやっているものなんだ」
 その声が案外大きかったらしい。父がそれに応じて苦笑を漏らした。
「なんだ、めずらしいな。ケーキが食べたいのかい?」
 いや、それは誤解だ。大いに誤解だ。
「……そういうわけじゃなくて」
 私は「ぷ」と吹き出した。
「このあたりは、裏手にスナックやクラブが多いからなぁ。いわゆる『お遣いモノ』を売る店が、遅くまで営業しているんだよ」
「『お遣い……モノ』?」
 父曰く、スナックやクラブなんかに行く時に、場合によってはお気に入りの(あるいはそうじゃなくても)コンパニオンに手みやげを持っていくことがあるのだそうだ。それがここで話に上がったいわゆる『お遣いモノ』の定義だとか。
 自分をよく見せようというか、相手に好印象を与えるために買うものだから、食べてしまえばなくなる果物やケーキなどを持って行くにしても、見栄えのよいものにする。だから必然、ああいうところで売っているものは、たいがい高価なものなのだとか。
「男の人ってたいへんだねぇ」と私が苦笑混じりで言うと、父は「女性だってホストクラブに行くことだってあるだろう」としれっと言った。なるほど、女がホストクラブに行く時にも、利用する店ってことか。しかし、ホストの兄ちゃんたちが、果物はともかくケーキとか喜んで食べるんだろうか?
 真剣に悩んでいると、父は隣で愉快そうに笑った。父の大きな笑い声を聞いたのはずいぶんしばらくぶりだったけど、驚く以前に私もなんとなく楽しくなって、一緒にげらげらと笑った。街の光が車の中にも届いて、私たちもキラキラ光っているような気がした。
 繁華街が切れるあたりで、私の目にとあるものが飛び込んできた。
 ちいさな生花店のガラスの向こう。
 ほんの一瞬の出来事だったけど、季節はずれすぎるそれは、配色も相まって、私の脳裏に鮮明に焼き付いた。
 (ああ、きれいだ)
 私は素直に思った。それがこの時期に存在しているなんて、あとで考えるととても不思議なことだったのだけど、その時はそんなことはまったく考えていなかった。
 それがそこにある。それこそが当たり前の光景で、なんら不思議はないようにその時の私は感じたのだった。
 車は繁華街を抜け、やがて住宅街に入っていく。
 私たちの今夜の旅は、今日という日と同時に、終わりを告げようとしていた。

6.

 クリスマスイブの夜、私はチューリップの鉢植えを買って帰宅した。ひと月ほど前の父との夜のドライブの帰宅途中で見た、あのチューリップの鉢植えだ。
 三年前はお姉さまと蓉子、二年前は蓉子を含む山百合会のみんなと、そして去年は蓉子のみ…といった感じで、ここ数年のクリスマスイブは蓉子とセットになっていた。しかし今年は、私は両親と過ごすことにした。
 その旨を両親に伝えた時、母は一瞬何が起こったのかわからないといった顔になったが、すぐに嬉しそうに「数年ぶりにパーティーをしましょうね」と満面の笑みとともに言い、父はその時読んでいた新聞越しにそんな母の様子を見て、口を、ひそかに苦笑の形にゆがめた。
 (そしてこれはまったくの蛇足なのだけど、後日、蓉子にこの話をすると、蓉子は笑いながら「反対なんてするわけないじゃない」と言い、さらに「むしろ大変好ましいことだわ」、と付け加えた)
 そんなわけで、私はチューリップの鉢植えを手に帰宅した。あらかじめ予定していた時間を少しオーバーしての帰宅だったので、どうやら母をヤキモキさせたようだった。でもこの鉢植えを置いていた店を探すのと帰宅そのものに手間取って、遅れたことは言わなかった。
 そのかわり、「これを」と鉢植えを差し出すと、母はなにか納得したように小さく頷いて笑い、それから「着替えて、手を洗ってらっしゃい。すぐに食事にするから」と言った。
 母の言うとおりに着替えて手を洗い、さらにうがいをしてからキッチンへ足を踏み入れると、すでに父が食卓についていて、今日のメンバーがそろうのを待っていた。  
 ささやかではあるけれど、パーティーが始まった。本当に何年ぶりだろうか。
 食卓には、最近よくTVのコマーシャルなんかで流れている、日本のスタンダードなのだろうクリスマス風景が広がっていた。ただTVの中とは違うのは、それらは買ってきた出来合いを並べたのではなくて、ローストチキンも櫛切りのゆで卵で縁取られた蟹サラダもそのほかの料理たちも、すべて母の手作りだってことだ。
 鍋の中から盛大に湯気を上げている熱々のミネストローネスープは特に母の得意料理で、かつてはこういった特別な日には欠かせない我が家の定番料理だった。
 本当に家庭的でまめな性格の母なのだ。
「数時間早いけどな」
 父はそういいながら、私のグラスにもスパークリングワインを注いでくれた。
 3つのグラスが料理たちの上空で、軽快な澄んだ音を立てる。父はまず最初の一杯を飲み干して、専用の大きなナイフとフォークを手に取ると、丸ごと一匹のローストチキンを切って、それぞれの皿に取り分けた。
 母はミネストローネスープを注ぎ、私はサラダを取り分ける。それは、まだこの家で各人の誕生日とかクリスマスとかを祝っていたころの光景そのままだった。それを思い出して私は笑い、父も母もそれにつられるように笑った。
 どこにでもありそうな、幸せな家庭を絵に描いたような光景だった。
 そんな時間と空間を心から楽しみながら、私はこんな自分や家族のあり方も悪くないと考えていた。
 食事が一段落ついてテーブルの上の料理たちがとりあえず片づけられたあと、母が冷蔵庫の中からケーキを取りだしてきた。クリスマスにはやはりケーキは欠かせないということなのだろう。いそいそと楽しそうにケーキ皿を選んでいる。
 私はその様子を横目で眺めながら、コーヒーを淹れる支度をしていた。ポットに水を入れて火にかけ、手碾《てび》きのミルで豆を碾《ひ》く。
 ガリガリ、ガリガリ。ガリガリ、ガリガリ。
 湯が沸いたと同時に豆が挽き上がり、それをペーパーフィルターを装着させた陶器のドリッパーに入れて湯を落とす。いい具合に豆がふくらんだところに、さらに湯を落とした。部屋いっぱいにコーヒーのいい香りが広がった。
 今日のコーヒーの出来の良さを確信した時、いつの間にか中座していた父が、私が持ち帰ったチューリップの鉢植えを持って、キッチンに戻ってきた。
 鉢植えのチューリップは、店では冷蔵庫のような寒いガラスケースに入れられていて、茎のてっぺんに1つずつ付いているつぼみには、花の色を示す柔らかい薄紙が丁寧に巻かれていた。
 ちなみに色は3色。幼稚舎時代に習った『チューリップのうた』のごとく、『あーかーしろーきいろー』なわけだ。それと同時に高等部時代を思い出させる配色で、だからこそ走っている車の中から一瞬見えただけのこの鉢植えの印象が、鮮烈に焼き付いたのだろう。
 店のお姉さんが「暖かいところに置くとすぐに花が開きますから、咲かせたい時まで、寒いところに置いといて下さいね」と言っていたので、私は暖房と人いきれで暖かくなっている電車なんかに乗ったらまずいと思い、タクシーに乗ろうとした。しかしこちらもやはり暖房が効いていたので、後続で待っている人に順番を譲って、そう近くもない距離をてくてく歩いて帰ってきたのだった。
 いわずもがな今日は12月の下旬のクリスマスイブ。途中で空から雪がおっこちてくるんじゃないかと思うくらい寒かった。その甲斐あってチューリップは、帰宅して母に手渡した時までは、その姿を保っていた。しかし……
 父が持ってきたそれは、つぼみを守っていた薄紙を取られ、さらに大きくその花びらを開かせていた。もう満開といってもいいような状態で、「自分たちはチューリップでございます」と主張しているように見えた。
 あまりに様子が変わってしまった鉢植えをポカンと見ている私に気が付いた父は、笑いをこらえながらこうなった経緯を説明してくれた。
「書斎を暖かくして置いておいたんだよ。せっかくのクリスマスプレゼントだからね。咲いているところを見たいと思ってね」
 今日どうしても、と父は付け加えた。花屋のお姉さんが教えてくれたことを、父は知っていたようだ。あらためて父の見識の広さに舌を巻いた。
 父は食卓の真ん中に、鉢植えを置いた。座って鑑賞するには、鉢が大きくて背もやや高かったけど、私たちはチューリップを眺めながら、デザートを食べた。「ささやかな」という形容詞が似合いそうな大きさのガトーショコラは、見かけほど甘くなく、甘さの奥から心地良い苦みが顔を覗かせていて、とてもおいしかった。
 ケーキを平らげたあと、多めに淹れていたコーヒーを温め直し、それを全員のカップに注ぎ入れてから、ゆっくりと自分の席に座る。それからおもむろに口を開いた。
「父さん、お母さん。話があるんだ」
 キッチンを満たしていた様々な音たちが、一瞬で鳴りを潜めた。
 それは両親がコーヒーカップの中をかき回していたスプーンを、ふたり同時に止めたために発生した無音状態だったのだけど、しかし私を緊張させるには十分なミュートだった。
 背筋がピリッと引き締まってのびた気がした。
 私は父と母を交互に見た。対照的な表情だった。母は特に「この時が来た」といった悲壮な表情になっていた。でも私は決心を変えない。そのためにこのひと月近くずっと考え続けてきたのだから。
 だから。簡潔に。ふたりに告げた。
「早ければ来年の春から、ひとり暮らしをしようと思うんだけど、許可して頂けますか?」
 父は微笑を含ませた視線を母に向けた。母は目を見開いて固まっていたが、数秒後、弱々しいため息とともに弛緩した。おおげさでなく、その肩が重力に負けたようにスローモーションで落ちたのだ。
「それでいいのか?」
 父はまじめな顔で訊いてきた。十分に検討して出した結論なのか、とその目が私に語りかけている。私は父をまっすぐ見てうなずいた。
「うん。あれからずっと考えて出した答えです」
 そう前置きした上で、どのみちリリアン女子大を卒業したら、就職にかこつけてでも家を出るつもりだったこと。しかしそれはとても卑怯な行動ではないかと思い至った経緯、そして今後の進路については、就職か進学か、まだ決められずにいるけれど、どちらも視野に入れて一年後には最終的な回答を出したい。……などを話した。
 母は、まさか私がそこまで考えていたとは露とも思っていなかったようで、声には出さなかったがかなりショックを受けている様子だった。
 もともと考えていたことを二年繰り上げる。表面的にはただそれだけのことだが、以前の考えと現在の考えには雲泥の差がある。
 父からお墨付きが発行されやすくなる特別チケットを確かにもらいはしたが、だからといって、それで大手を振って後ろ向きな気持ちのまま出ていきたいと発言しているわけではなく、むしろ、後ろ向きな考えの自分を捨て去るための発言なのだとも、説明をした。
「だから、お母さんがどうしてもダメって言うなら、この話はなかったことにしていいです。生活費はバイトとかして自分でなんとかするつもりだけど、敷金とか礼金とか払えるほど貯金はないから。それは当座、どちらかから借りておかなきゃいけないし」
「ちょっと待て」
 母に話している途中で、父からストップがかかった。
「あらかじめ言っておく。お前がひとり暮らしをするとしても、生活費を稼ぐためのアルバイトはダメだ」
「え……でも……」
「この家とお前の生活と、そのくらいを支えて賄っていくくらいの甲斐性は、私だって持ち合わせている。それ以前に、大学には勉強をしに行っているのだから、勉強がおろそかになるようなことはするな。……半独立に当たっての、私からの条件はそれだけだ。仕送りはする。その中でやっていきなさい。それも社会勉強のひとつだ」
 はじめて見る父の表情だった。たぶんこれは社長の顔なんだな、と何となく思った。
「ただ、社会勉強のためのバイトならば、いくらでもやりなさい」
 そう言った時には『父親の顔』に戻っていた。
「わかりました」
 私は素直に父の言葉にうなずいた。
「……ということなんだが?」
 父は今度は母にむかって声をかけた。私と父とのやりとりの一部始終を見ていた(と思われる)母は、父の声にはっと我にかえると、一度父の方に視線を送り、お互いにうなずき合ってからゆっくりと私の方に向き直った。
「私もお父さんの意見に賛成よ。 聖ちゃん、あなたはいい子だけど、気を回しすぎるわ。親のスネはかじれるだけかじっておきなさい」
「え……とぉ……」
 母の真意がつかめずに、私は困惑した。母の苦笑が漏れ聞こえた。
「早くても春……じゃなくて、遅くても春からにしないと。家を探すなら、今の時期だったら物件も多いし条件もいいもの」
 もう少ししたら進学が決まった大学生や就職が決まった人たちが家探しを始めるから、その前に決めておかないと、良いところからどんどん埋まっていくのよ、と母は付け加えた。
「…………あ。……ありがとう。お母さん」
 私は心から言って、深く頭を下げた。
「じゃ、これで決まりだな。明日からでも家探しを始めないと」
「あ、うん」
「どの沿線に住んでみたいんだ?」
 そう言いながら父は席を立った。戸棚に近づいて雑多な物が放り込んである引き出しから、母がいつも使っている花鋏《はなばさみ》を取り出すと、またテーブルに戻ってきた。
「うーん。まだはっきりと決めていないんだけど、やっぱりリリアンに通うのに楽な沿線がいいなー……って……おとーさん、なにしてるの!?」
 父は今まさしく、満開になった鉢植えのチューリップを切ろうとしていたのだった。……否、パチンと小気味いい音を立てて、チューリップを鉢植えから切り花に変えてしまった。
 何が起こったのか理解できずに私が口をパクパクさせていると、父はそれがさも当然のように、満開に開いているすべての花を切り、葉もいくつか切って、母に手渡した。
 母もそれをさも当然のように受け取ると、流しに用意していたらしい彼女お気に入りの洋花瓶にそれを可憐に生け、それを花のなくなったかわいそうな鉢植えの横にそっと置いた。
 私は相当間抜けな顔をしていたと思う。
「鉢がやや小さいな。もっと大きなものに植え替えて、肥料もたっぷりやらないと」
「ええ、そうですね」
 間抜け顔の私を尻目に、夫婦の会話が展開していく。……この人たちの会話がよく理解できない。えーと、つまりは……。
「こうしておけば、来年またきれいで大きな花が咲かせられるんだよ、聖」
「……え……?」
「このまま花を咲かせ続けると花の方にも栄養が回ってしまってな。新しくできる球根が大きくなりきれないんだよ」
 父は簡単に説明してくれた。来年へもつなげていくなら、本来ならつぼみが付いた時点で切ってしまうのが最適で、世の中に出回っているチューリップの球根は、そうやって作っているらしい。
「せっかくお前がくれたのだからな。また来年、今度は春になるだろうが、きれいに咲いたところを見たいじゃないか」
 その言葉を聞いた時、私ははっと思い出した。父が愛用している鹿角の靴べらのことを。
 今もなお、父の車のキーやその他もろもろの鍵たちをひとまとめにして、常に持ち歩かれているそれは、中等部時代の修学旅行のお土産に、私が買い求めたものだった。お土産と起業祝いをかねていた。
 旅行から帰ってきてそれを差し出した時、父は、それは大げさだろうと私が内心あきれたほど喜んで、すぐに車のキーに取り付けたのを憶《おぼ》えている。あれからすでに五年以上が経っているが、今も大事に使ってくれている。
 何度か切れたのだろう、すでにオリジナルのストラップではなくなってもいたし、それが何度か換えられていることも知っていた。
 父はこうしてさりげなく私のことを大事にしてくれていたのだな、と今さらながら痛感した。自分とは違う種類の不器用さで。たぶんだけど、私の知らないところで、いろいろと私をかばっていたくれていたのかもしれない。
 なんだか今までの自分の子供っぽさが身に染みてきた。
 どうしてもっと、今までの自分は家族と向き合わなかったんだろう。ちゃんと向き合っていれば、もっと違った人間になっていたかもしれないのに。
「聖ちゃん」
 母の手が私の肩に触れた。声の方を向くと、肩ごしに母の顔が見えた。
「本音を言うとね、お母さんはまだ本当には納得していないの。でもさっき聖ちゃんが自分の考えを話してくれたことは、とても嬉しかったのよ」
 母の言葉を聞きながら、三年前のクリスマスイブのことを思い出していた。雪は降らなかったけど、身を切るように寒かったホームで独りだった自分。そんな私を見て独り旅立った栞。それを追いかける蓉子。そしてお姉さま。
 本当はこれだけじゃない、もっと多くの人たちを巻き込んだ出来事だったはずだ。
 あのことは、結局自分の殻に閉じこもってしまって、周りが見えなくなり、周りの声を聞かなくなり、そして沈黙したことが、一番大きな間違いではなかったかと今では思うようになっていた。
「だからね、あなたのお誕生日《クリスマス》とかお父さんのお誕生日とか、そういった特別な日くらいは顔を見せに帰ってきてちょうだいね」
「……お母さん…………」
 今までいろいろ、ごめんなさい。そんな気持ちがあふれてきた。
「それが、お母さんからの条件よ」
 母はそうささやくと、「さーて、お片づけ、お片づけっ」と洗い物で一杯になっているシンクへと方向転換した。その声は、なにかが吹っ切れたようにサバサバとした響きだった。
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