へっぽこ・ぽこぽこ書架

二次創作・駄っ作置き場。 ―妄想と暴走のおもむくままに―

『艦隊これくしょん~艦これ~』二次創作SS

風よ、吹け ―ヒナセ基地定期報告書―

2.海の彼方にある島の

 工作艦『明石』
 ヒナセが今乗っている艦《ふね》の名。
 そして、今自分の右横に立っている人物の名前でもある。
「提督、そろそろ見えてきました」
 艦橋の中から明石が指し示す。水平線しか見えない。ヒナセは額のまえに手をかざして明石の指すところを凝視した。人の目には、もちろん何も見えない。
「……ふむ」
 ヒナセが口をへの字にして声を漏らすと、左の袖をそっと引くものがあった。見るとヒナセの秘書艦である駆逐艦『電』がそっと望遠鏡を差し出している。
「ありがとう」
 受け取って電の頭をそっと撫でる。電が嬉しそうに「にこ」と小さく笑った。
 ヒナセは電から受け取った望遠鏡を右目を当てて、先ほど明石が指し示した方向を見た。
「……お!」
「見えましたか?」
 明石が自信満々の声を上げる。
「いや、イルカが跳ねたよ」
「………」
 気づかれないように右横を盗み見ると、明石は憮然とした顔をこちらに向けていた。
「冗談です。見えたよ。……あれが、赴任先だね」
「見えましたのですか?」
 電がおずおずと、しかし嬉しそうに訊いてきた。ヒナセはにっこりと笑って大きくうなずいた。
「見えましたのです。デンの望遠鏡は精度が良いね」
「ありがとう、なのです!」
 明石が「ははん」と微かに鼻で笑うのが聞こえた。この一連のやりとりが、わざとらしく見えるのだろうし、また鼻で笑いたくなるような茶番にも見えるのだろう。
 電が差し出してくれたのは海軍御用達の単筒望遠鏡である。
 このモデルは、最大外径六〇mm、長さは最大五〇〇mmほどになり、縮めれば二〇〇mmという手軽さで、外殻が木製革張りで大昔の船乗りが使っていた単筒望遠鏡に酷似しており、使うさまがまたそれっぽいから、提督たちに人気が高い。
 だが、今ヒナセが手にしているものは、外観はまったく同じものだが、海軍が開発した超高性能な単筒望遠鏡で、目に特殊な条件を持つごくごく一部の軍人に支給されているものだ。現在海軍で使用されている一般的な単筒望遠鏡は、光学ズームでせいぜい八〇倍程度の拡大能力しか持っていないが、この望遠鏡はとある条件下で超超性能を発揮し、戦艦艦娘の倍率視力に匹敵する能力を持つ。
 この望遠鏡の持ち主はヒナセ本人で、電は秘書艦として、その管理を任されているだけだから、別に『電の』とあえて言う必要はどこにもない。
 だが、それでもいいのだ。
 茶番なのはヒナセ自身がいちばんよく知っている。しかしそれが必要な時もある。他人が何を思おうと知ったこっちゃない。
「昼ごろには着くと思います」
 明石の声が聞こえた。
「じゃ、お昼は着いてからかな?」
「それでも構いませんが」
「陸《おか》に上がってから、は無理かな?」
「どうでしょうね。一応仮設の司令部は建ててはありますけど」
「だったね。今日は天気もいいし、陸は無理でも、外でランチとしゃれこみたいね」
 望遠鏡を降ろして「どうかな?」と明石を見上げる。明石はぽかんとした顔でこっちを見ていた。
「なに?」
「あ……ああ、いえ。了解です」
「んー……思ってること溜めとくの、よくないよ」
 ヒナセはにこりと笑った。
「あ、いえ……でも……」
「今日昨日のつきあいじゃないじゃない。……君らしくないね」
 ヒナセと明石は出会ってからかれこれ二十年近くのつきあいになる。明石はヒナセの上司・アサカ中将の所有艦で、秘書艦歴が長い。一緒に秘書業務をしていたこともある。つまりは元同僚だ。
「いえ……その……ヒナセさん、いろいろ猫かぶってたんだなって——」
 思いまして、と声がだんだん小さくなっていく。
「そ?」
「だーぁってぇそうじゃないですかぁ。アサカ提督の副官《秘書》とか幕僚とかしてたころは、もっと真面目な人かと思ってましたよぉ」
 明石の声がいきなり大きくなったので、ヒナセは自分の口に人差し指をあてて「しぃ」と明石を制した。明石は「あ」と気がついて、声のトーンを落とす。
「あんまり冗談も言わないし。まじーめに仕事するけど、まじーめに変な人……って感じで」
 小さくなった明石の声を聞きながら、ヒナセは、明石の声に驚いてヒナセの足にしがみついてきた電の肩をそっと抱き寄せた。電の体はガチガチに強ばっている。ヒナセが電を抱きあげると、電はヒナセの首にぎゅっとしがみついてきた。
「……えっと……ごめんね、電《いなづま》ちゃん」
 明石が電に言った。電はそろそろと明石の方を向いて、しばらく前髪の奥から明石を見つめていたが、やがて小さく二度、首を横に振った。
「デン、返事は? 明石はちゃんと謝ってくれたよ?」
 ヒナセはよいしょと電の体を揺すり上げた。
 電はヒナセを見て、それから明石の方を見る。しばらく経ってから、消え入るような、そして喉の奥から絞り出すような声で言った。
「……あの……大丈夫……なのです。いなづまのほう、こそ、ご……ごめんなさい、なのです」
 電は肩で息をし、汗をびっしょりとかいている。そうとうに体力も気力もを使ったようだ。そんな電に、ヒナセは額をコツンと当てて「よくできました」と唇だけで言った。下からのぞき込んだ電の瞳の中に、ヒナセ自身が映り込んでいた。
「あたしさ、仕事柄、艦にいるとさ、声がどーしても大きくなっちゃうのよね。ホント、ゴメン。ゴメンねぇ」
 明石が弁解がましく電に話しかける。笑顔が貼り付けたように強ばっていて、こちらもそうとうなストレスを感じているようだ。
「工作艦だから、まずはお互いに声出し確認しないと事故につながるからね。それは仕方がないよ」
 ヒナセが静かにフォローを入れた。
 電はヒナセにしがみついたまま、二人の声をじっと聞いていた。すこしずつ、体の硬直が解けていくのを、ヒナセは電とくっつきあってる部分で感じていた。
「え……と。提督、あと一時間半もすれば着きますけど、どうされます?」
 明石が時計を見ながら言う。
「そうだねぇ。荷物はもうまとめてあるしねぇ」
「あの……いなづま、本当に忘れ物がないか、確認して、くるのです」
「あら。そうですか?」
「はい、なのです」
 ずっと抱かれていることが恥ずかしいのか気を遣うのか。たぶんどっちもだなと判断して、ヒナセは電を床に降ろした。
「じゃ、よろしくおねがいしますのです」
 電を見下ろし、軽く手を上げて敬礼する。
「おまかせください、なのです」
 電も敬礼を返し、小さくニコ…と笑ってから、艦橋の外に駆けていく。
「転ばないように気をつけて」
「はい、なのです」
 小さな駆逐艦は声だけが艦橋に残った。
 ヒナセは電がいなくなったあとも、電の駆けていったほうをしばらく見ていた。本体が駆逐艦とはいえ、少女ひとりいなくなっただけで、艦橋内の熱量が少し下がった気がする。
「海が見えなければ、平気なんですねぇ」
 明石が小さくため息をついた。電のことを言っているのだろう。
「甲板はまだ無理だね。ひとりでは」
 ヒナセが返すと「そのようで」と明石が言った。
「陸《おか》でもあの調子なんですか?」
「………」
 ヒナセは明石に視線を移した。明石の目は笑っていない。ヒナセは一度だけ目を伏せ、それからゆっくりと瞳を上げて船の進行方向を見た。
「私が手を繋いでいれば、波打ち際とかは平気になったよ。でもまだ、自分からは近づこうとしないね」
「大変ですねぇ」
 しみじみと言う明石の声に、海に出ることができない艦《ふね》なんて、と含まれているよう感じた。
「まぁ、しばらくは基地施設の整備に専念しないとダメなんでしょ? ちょうどいいよ。建造ができるようになれば艦娘も増えるし。艦娘が増えれば、その子たちに引っ張られて、徐々に慣れるんじゃないかな」
 ヒナセは希望的観測を口にする。
「……ヒナセさん、気が長すぎます」
 明石が呆れたように言う。
「そ?」
「そーですよ。あのアサカ提督の下でずーっと副官してた時も、つくづく思ってましたけど、一年前にあの子を引き受けたときからも、実に実にそう思いました。それからあの基地でしょ? どんだけ気が長いんですか」
 同僚として同じ人物の下で直接働いていた期間がいちばん長いせいか、明石にもいろいろ思うことが多かったようだ。自分が明石の立場だったら、同じことを思うかもしれない。
 しかしヒナセは笑い顔で、明石にこう言うだけにした。
「まぁ、いいじゃない。おかげで将官になれたんだし。時間人事で大佐まではなんとか行けても、そこから上に行くのはなかなか大変なんだよねぇ。それにさ、将官になったら定年年齢は上がるし、年金も待機期間なしで出るようになるから、やっぱなれるならなっちゃうでしょ」
「……はぁ」
 明石が肩をすくめる。
「やはり、人間の考えることは、理解の範疇を超えます」
「そ?」
「ええ、そうです」
 艦娘は人間の姿をし、感情も持っているけれど、あくまでも艦でしかない。人間同士のような利害関係も思惑もないし、そもそも“外”の世界も知らない者がほとんどだ。だから、ヒナセの事情や思惑や利害を理解できなくて当然だ。「提督」と尊称してくれるし尊重もしてくれるが、「尊敬」という概念は持っていないように見える。それが証拠に言いたいことをポンポン言ってくる。意見具申をする際に相手の顔色をうかがうこともない。
 さまざまな制限がかけられ、人には逆らわないようになっているが、それが彼女たちの“仕様”というお話なだけであって、たぶん人間社会の上下関係を細部まで理解しているわけではないのだろう。
「電《いなづま》の様子を見てくるよ。着く十五分前になったら知らせてくれる?」
「あ、はい。了解しました」
 ではよろしくと歩き出す。しかし艦橋から出ようとして足を止め、明石に振り返った。
「寝室にいるかもしれないから、ちゃんとノックしてね」
「……は?? ……へ?…… り、了解しました」
 豆鉄砲を喰らったような明石の顔に、ヒナセはニヤ…と笑いを投げて艦橋をあとにした。
 たぶん明石は何か勘違いしたに違いないが、まぁ良い。
 ヒナセは鼻歌交じりで艦橋を下り、自分たちの部屋に急いで歩いて行った。
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