オリジナル格納庫

ある意味、カオスの巣窟。

あの桜並木の下で 小品集 時間外

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museum 本文

小母さんと小父さんの会話。
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柳原秋子がとある会社の応接室に入ってくる。
中で待っている人物(男)を認めると、丁寧にそして静かに
頭を下げる。
お久しぶりです。突然で大変申し訳ありません。
(にこやかに)いえいえ。柳原会長からのアポを、いくら急と言っても、
お断りする理由がありませんよ。
(悪びれずに言う。皮肉ではなく素で。こういう男である)
男は秋子にソファを勧め、自分もテーブルを挟んだ対岸の
ソファに座る。
秋子も促されたソファに腰掛ける。
今日はどうなさいましたか?
実は……噂を小耳に挟みまして。……と申しましても、娘から聞いた話ですが。
……ああ。なるほど。
……そう、おっしゃるからには、お心当たりが。
ええ。大いに。
春花ちゃんには故意に情報を(にこにこしながら言う)
ああ、そうでしたの。
ええ。
必ずあなたが食いついてくると思いまして。
……では、私が今日訪ねたのも。
もちろん、予想の範囲内で。……ま、予測よりもかなり早かったですが。
そうですか……。
(そこに秘書がコーヒーを持ってきて、二人の間に置くと、一礼して去って行った)
お人払いを、お願いできます?
……もちろん。
(立ち上がり、部屋の壁際に置いてある電話台上のインターフォンのボタンを押す)
……私だ。こちらから指示があるまで、控えから全員出るように。
スピーカーから『承りました。何かございましたら内線9番にお願いします』との声。
それからややあって、ポポポポポ…と短いブザー音がスピーカーから音が流れる。どうやらこの音は、指示完了の合図らしい。
では、改めてお話しをお伺いしましょうか。……秋子さん(ソファに座りにっこり笑う)
(うなずいて)……では、率直にお話しします。
貴ちゃんの作品の専門美術館を設立されるご計画だとか?
ええ。それが若い頃からの夢でしたから。
世界中にある移動可能な作品すべてはもちろん無理でしょうが、
国内で流通しているものは相当数蒐集できました。なかなか骨の折れましたよ、主に金銭的に。
……国内流通分はさほど金額は跳ね上がらないでしょうに。
昔はそうだったんですがね。
亡くなったあと、なかなかに国内でも有名になられましたからね。しばらくは交渉すらも難しい状態でしたよ。
日本人は流行に弱いですからね。
まったくです。
貴子さんの作品の真なる意味が理解できていた人間が、どれくらいいたでしょうね、あの頃は。
ネームバリューばかりが先行して中身が伴わないことの、なんと多いことか。
それが日本という国の、良いところでもあり悪いところでもありますわね。
消費! 流通! 経済!……という観点からは悪いことではありません。しかし、芸術分野における中身のないネームバリュー的流行は、あまり良いこととは言えませんな。
……そうは思いませんか? 芸術家のおひとりとして。
(静かに首を横に振る)私は、妹やその愛人のような、生み出し続けなければ生きていけない人間ではありませんでした。私は単に、彼女たちの大学同期で……そう……友人というだけの、平凡な人間です。
……ふむ。
しかし、貴女もまた、描き続けていらっしゃるではないですか。……それに、岩下貴子作の絵画で、貴女が額装をしたものはとくに完成度が高いと、私は心から思っていますよ。
色眼鏡でご覧になっているのではなくて? (苦笑する)
そうかもしれません。
しかし、貴女が額装なさった作品は、そのほかに比べて評価が高いのもまた事実です。
……。
……本題に入らせて頂いて、よろしいかしら?
おっと。これば長舌が過ぎましたね。
そういうところは、お若い頃から少しもお変わりない(ころころ笑う)
それが、私の取り柄でして(秋子にウインクし、コーヒーを飲む)
(口湿らせにコーヒーを一口飲み、カップをソーサーに戻して、さらにそれを静かにテーブルに置く)
……では、単刀直入に。
はい。
岩下貴子専門の美術館、私(わたくし)にも一部出資させて下さい。
……。
お嫌ですか?
いえ……正直申しまして、それはとても助かります。
先ほども申しましたように、貴子さんの没後、国内流通分もかなり高騰しましたからね。
金がかかった……は、誇張でもなんでもありません。流行に乗った三流画商たちが、寄って集って無意味に値をつりあげてくれましたよ。
彼らにとっては、無意味ではなかったんでしょうね。
(肩をすくめる)
ご出資頂けるのはとてもありがたいですが、タダではありますまい。
……条件は、何ですか?
難しいことではありません。……でも、貴方には看過できないことかもしれません。
……ほう。
その条件、お聞きしてから判断させて頂いても?
(肩を竦めつつ両の手を体の前で開いて、返事を促す)
ええ。もちろん。
……条件は2つです。
はい(居住まいを正す)
一つは、設立の美術館を法人化すること。
……相続対策ですな?
その通りです。私が気にすることではありませんが、貴方がこの先も個人所有されたままお亡くなりになったとしたら、たぶん貴子の作品は『資産価値がある』と判断されると思います。私が存じ上げているだけで、かなりの数を蒐集されてますでしょう?
ええ……そろそろ三桁に手が届きそうですね。
資産価値があると判断されてしまう前に、ご子息たちが売り払うか破棄するか……あるいは相続放棄されるか。……どちらにしても、散逸する可能性が高いと、私は予測しますが、いかが?
……確かに。ウチのボンクラ達は美術品にはとんと興味がないですからな。私が岩下貴子作品を蒐集していることにすら、単なる浪費・ガラクタ集め……と、文句ばかりで。
実際、ガラクタにしか見えない作品も多いですしね(苦笑する)
現代アートの宿命ですな。
法人化については検討しましょう。
しかし、国はとにかく国民から搾り取ることばかり思いつきますな。資産価値といっても、『売れば』が前提で、実際に売却して現金化するかどうかは、引き継いだ人間次第ですからな。現金化した時点で、その金額に応じて税をかければ良いものを。
かといって、現金化したときに税金がかからないかと言えば、これもまた別の話ですものね。
左様左様。
税の二重取りに他ならぬ……と批判されてもおかしくない。
……ととと。話が脱線してますな。
もう一つの条件をうかがっていいですかな?
(黙ってうなずく)……では、2つ目の条件です。
その美術館ですが、通路になる部分を、広く取って頂きたいの。欧米の美術館のように。
……ほう。
私が出資する部分は、今申し上げた通路を広く取るため……延(ひ)いては、広く取るために建物自体が大きくなるでしょうから、その分を私が補填する……という意味です。
欧米の美術館並みに通路を広く取る理由はなんでしょう?
そしてそのこと自体が本当の条件では……?
あら、勘が鋭いですわね。
そりゃぁもう。柳原秋子さんとは、なんだかんだで40年近くお付き合いしていますから(ははは、と軽快に笑う)
もう……そんなになりますのね。
ええ……時の流れるのは、早いものです。
出会ったときは、皆独身で、特定の相手さえいなかった。
それが今や、お互いに三人の子持ちで、孫すらおりますからな。……早いものです。
ふふ……お話しがまた逸れてしまっていますよ?
おっと……。これはいけません。歳を取るとつい……ね。
ええ、私も同様に。
……では話を元に戻しましょう。二つ目の条件の理由ですが……
はい。
欧米の美術館のように、イーゼルを立てての模写や、スケッチができる……そんな美術館にして頂きたいの。
……なるほど。
日本という国はまだまだ貧しい国です。芸術分野への接し方が、まだまだ特別なモノで、日常に浸透していません。入場料は高く、観覧も流れ作業のようです。舞台についても同様です。
もっと身近に気軽に触れることができ、実物を前にスケッチや模写ができて当たり前だという状態に、なって欲しい。お使い物ではなく、キッチンのテーブルの上に置いてあるおやつのような感覚であって欲しいのです。
そういえば、柳原グループが経営するいくつかの劇場では、撮影不可の上、出演者やスタッフの邪魔にならないようにするという条件で、関係者や関係学生に、ゲネラルプローベからの見学を極安価で開放していらっしゃいましたね。
ええ。ゲネプロからの開放については公演者の意向が最優先ですから、決して強制はしていませんが、しかしご賛同頂ける団体が思った以上に多くて。
賛同できる団体が、率先して借りているのでしょうな。
ええ、その通りだと思います。おかげで、少数のホールで……ではあるんですけど、その道を志す若い人たちがよく観に来ているようですわ。
なるほど。
その美術館版を作りたい……というわけですね。
はい。
……さて。その試み、“彼女”は賛同してくれますかな?
するでしょう。
断言なさる(どこか楽しそうに)
ええ、もちろん。
貴ちゃんは、こういうこと、とても好きなんですよ。
……もっとも、自分がダシにされることについては嫌な顔をするでしょうけどね。
ははははは。確かに。
……以前、OK美術館に足繁く通っていた時期がありましてね。
へぇ、そいつは存じ上げませんでした。
祖母の家に行くついでに……が実際のところだったんですが。
あそこの陶板技術について、それはそれはしつこく延々と語ってたんですよ。
へぇ。
超現代アートの分野にいるくせに、古典作品も大好きでしたしね。
ああ。確かに。
先人の仕事に触れるのが好きだったんでしょうね。
ええ。たぶん。
……で、その陶板技術を使わせてもらって、学生や子供達が自由にスケッチや写生をすることができる美術館をつくれないだろうか。ごくごく小さくてもいいから……って、よく私に謎かけしてましたの。
ははは。
交渉も途中まではなんとかうまくいきそうだったんですが。あちらとウチとの共同出資で。
でも案の定というか、自然の流れというか……最終交渉で……
仕方ありませんな。
もし実現していたら、その年の美術館10大ニュースくらいにはなったでしょうからな。
マスコミも押し寄せてきそうだ。
……なるほど。今回の件で、言い出しっぺに責任を取らせる……というわけか。
……ええ、そう(うふふふ、と笑う)
はははははは。
秋子さんのお考えには大いに賛同しますよ。
だが、もう少し検討させて下さい。
ええ、ごゆっくりお考えになって。
ええ。そうさせて頂きます。
考えに賛同できるのと個人で蒐集したものをほぼタダで手放すことは別問題です。
この二つを天秤にかけること そして決断することを、同列で考えるのはすぐにはしかねます。いくら私でも。
……もちろんですわ。
私が貴方だったとしても、同じように考えます。
……人はなかなか、煩悩を捨て去ることができませんよ。
(はははは、と快活に笑う)
今日は私の勝手なお願いを聞いて頂くためにお時間を頂いてしまって。
ありがとうございます。
いえいえ。こういうことでもないと、なかなか気軽に会えなくなりましたからね。
隠居もぼちぼち考えていないわけではないのですが、まだまだ息子が洟垂れでしてな。
それは、私の方も同じです。
春花を見ていると、どうもハラハラしっぱなしで。
いやいや。春花ちゃんはなかなかのやり手ですよ。お母さんに似て決断も早いし、なにより思い切りが良い。
それが悩みの種なのですけどね。
思慮が浅くて。いつかは足を掬われますよ、あの子は。
そのために貴秋君がそばについているじゃないですか。良いコンビだ。あの二人は。
貴秋は反対にああ見えて決断力が弱いというか、優柔不断で。
……でも、だから春花のサポート役が適しているのでしょうね。
ええ。たぶん。
私も、秋子さんのお子さん達のような子供が欲しかった。
……ま、もう言っても詮無いことですがね。

あら、しっかりしていらっしゃるじゃありませんか。
いやいや……僕に似て、口先三寸で世を渡って行ってるだけですよ(ウインクをする)
……ふふふふ……。
ははははは……。
本当に、お変わりない。
それは秋子さんも。
そうですか? ずいぶん変わりましたけどねぇ。
それを言うなら、僕もです。
……後日連絡差し上げます。これからはしばらく、連絡を取り合うかと。
ええ。よろしくお願い致します(立ち上がる)
(立ち上がって、インターフォンのスイッチを入れる)
お客様がお帰りになる。私も玄関までお見送りをするから。
インターフォンから『かしこまりました』の声。
……ここに、貴子さんがいたら。……そう思えてなりません。
きっともっと楽しかったろうと。
いえ……貴ちゃんがいたら、きっと今日の会合はあり得ませんよ。
あ。そうか。……そうですね。
ええ。
今日はお越し頂いて、ありがとうございます(手をさしのべる)
こちらこそ。こちらからもまた、連絡差し上げますわ(相手の手を取り、握手する)
はい。よろしくお願いします。
……では、参りましょう。
扉の方へ秋子をエスコートして歩き出す。扉に近づくと音もなくそれが開き、廊下に彼の秘書が二人控えている。
二人の初老の男女が部屋から出、扉がゆっくりと閉まる。
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