オリジナル格納庫

ある意味、カオスの巣窟。

あの桜並木の下で 小品集 時間外

名前の由来

名前の由来 本文

 春花。子供の頃は年齢に対してちょっと言葉がたどたどしいのですが、頭の回転や物事への理解はやたら早かったりします。
 そんな片鱗を見せるお話。時間外。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
○岩下家母屋。とある夜。
居間には女ばかり。
男どもは泊まりがけでサバイバルゲームへ行っていて不在。
春花
ねー、ハルカ、なんでみんなとおなじじゃないの?

 

貴子
……なにがですか?

 

秋子
なんの話?

 

春花
なまえー。

 

貴子
名前?

 

秋子
……名前。

 

春花
みんなどこかひとつおなじなのに、ハルカだけおなじじゃない。

 

秋子
……あ。

 

貴子
何が?(これはすっとぼけているだけ)

 

春花
じー。

 

貴子
……誰に訊いたの?

 

春花
しらない。

 

貴子
??

 

秋子
……確かに、お兄ちゃんたちまでは、誰か1文字重なってるわね。

 

貴子
(秋子に)アンタと私は……違……あ、「子」が重なってるか。

 

秋子
今さら気がついたワケではないわよね?

 

貴子
(秋子に頭を下げて)今のはマジボケでした。
(春花に)まーねぇ…。兄ちゃんたちは、みんなの字を1コずつ取って付けたからねぇ。
なぜか上が「タカ」なわけですが。

 

秋子
お母さんの我が儘で、お兄ちゃんたちの名前は決まったようなものなのよねぇ。

 

春花
??

 

秋子
あのね、お母さんは「岩下」ではないでしょう?

 

春花
うん。

 

秋子
もっと大きくなったら分かるようになるけど、多くのお家では、お父さんもお母さんも 同じ名字で、家族みんなが同じ名字なの。
でもね、ウチはそういうわけにはいかなくて、仕方がないから、お兄ちゃんたちやあなたが生まれるちょっと前に、お母さんはちょっとのあいだ「岩下」になって、あなたたちがちゃんとお父さんとお母さんの子供ですよって、他の人が分かるようにしたの。

 

春花
(聞いている)

 

貴子
そこは今は端折ってもいいんじゃない?

 

秋子
大切なことだから。

 

貴子
(続けて、と手で促す)

 

秋子
(春花に)でもね、お兄ちゃんのどちらか、あるいはあなたか。
お母さんのお家の人になってもらう日が、いつか来るのね。
憶えておいて。誰かが「柳原」にならなきゃいけないの。

 

春花
おかあさんとおなじなまえになるの? おかあさんといっしょに?

 

秋子
(首を横に振る)少しの間だけ同じ名前になると思うけれど、
すぐにお母さんは「岩下」になるつもりだから。

 

春花
なんで?

 

秋子
本当は、お母さんも「岩下」になりたかったよ。お父さんと結婚したときに。
私たちは一緒にこの家に住んでいるけど、お父さんとお母さんは、書類上では家族ではないのよ。

 

貴子
……世の中にはそういう家族も多いけどね。

 

秋子
貴ちゃん、話がややこしくなるから。

 

貴子
はいはい。お口にチャック(口の前でチャックを閉める動作をする)

 

秋子
……でね、お母さんのお家は……

 

春花
おじーちゃんがいるところだよね。

 

秋子
ええ。

 

貴子
厳密にはお祖父さんではありませんが。

 

秋子
(貴子をぎろり、と睨む)

 

貴子
(明後日の方を見る)

 

秋子
いろいろ決まり事があってね。名前もその一つなの。

 

春花
なまえ?

 

秋子
ええ。
お母さんのお父さん……柳原のお家にいるおじいさんじゃなくて、ずいぶん昔に死んじゃったあなたの本当のお祖父さんの名前にも、同じ事故で死んじゃったあなたの伯父さんも、季節の名前が一文字入っているの。
もちろんお母さんにも。……付き合いはないけど、伯母さんたちにもね。

 

春花
きせつ?

 

秋子
ええ。春、夏、秋、冬…。
お祖父さんは秋司(しゅうじ)さん。伯父さんは春一郎(しゅんいちろう)さん。
……伯母さんたちは夏子(かこ)さんと冬子(とうこ)さん。

 

貴子
もののみごとに、春夏秋冬だなぁ。

 

秋子
……私以外は、その季節に生まれたのよ。

 

貴子
あらま。……安直な名付けかただなぁ。

 

秋子
(貴子を無視して春花に)お母さんの名前は「秋子(しゅうこ)」でしょう?

 

春花
うん。

 

秋子
だから、お兄ちゃんたちはね、お父さんと貴ちゃんから一文字もらって、お母さんの名前とくっつけたの。

 

春花
きまりごとだから?

 

秋子
ええ。どの季節の字を付けてもいいってことになってるし。それに……もしどちらかが柳原になっても、お父さんと貴ちゃん……岩下の人たちとのつながりをなくしたくなかったの。
だから、お兄ちゃんたちはお父さんとお母さん、そして貴ちゃんの誰かの名前とどこかが同じなの。

 

春花
じゃぁハルカはー? ハルカがやなぎはらのおうちもらったら、うちのこじゃなくなるの?

 

貴子
それはないよ。

 

春花
なんにもおなじじゃないのに?

 

貴子
同じとか同じじゃないとか、関係ないからね。

 

春花
(首をかしげる)

 

貴子
(春花の頭を撫でて)大丈夫。ウチの連中は、そんなことくらいで縁遠くなるような薄情者は誰ひとりとしていないよ。

 

春花
ほんとー?

 

貴子
ホントホント。それにね、あんたの名前は私が付けたんだから。

 

春花
ホントー?

 

貴子
うんホント。だから、岩下と縁が切れるワケがない(呵々と笑う)

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
…そして月日は流れて……
○岩下家母屋・居間
前景の9年後。貴子没後。
岩下家の全員が、居間でお茶を飲んでいる。
春花はなにやら学校の課題中。
春花
……理不尽。

 

父母と兄たち、一斉に顔を上げて春花を見る。
秋子
どうしたの?

 

友則
難しい言葉が聞こえてきたね。

 

貴秋・友秋
……父さん(たしなめる)

 

友則
春花は頭がいいな。

 

貴秋
そういう話じゃなくて。

 

友秋
……俺、お茶いれてくる(立つ)

 

春花
(両親に)「はるこ」じゃダメだったの?

 

秋子
はるこ?

 

春花
私の名前。

 

間。
秋子、一瞬怪訝な顔をしたが、すぐに何を言っているのか思い当たる。
秋子
……その話、まだ引きずってたの? (言って、春花の書いているものを覗きこむ)
……あー……なるほどね(苦笑する)

 

友則
なんだ?

 

秋子
春花はね、自分の名前が気に入らないみたいよ?

 

春花
そうじゃなくて。

 

秋子
ずいぶん前だったけど、説明したでしょう? 忘れた?

 

春花
忘れてません。

 

秋子
本当に? 貴ちゃんが言ったことを忘れちゃったのかしら?
貴ちゃんはね、嘘は付かないわよ。ホラは吹くけど。

 

春花
どういう意味?

 

秋子
額面どおりの意味よ。

 

春花
うーん……。

 

友則
春花はなぜ、自分の名前が気に入らないんだね?

 

春花
気に入らないんじゃなくて。

 

秋子
仲間はずれっぽい気がしているのよね?

 

春花
うん……まぁ……そんな感じ。

 

友則
なぜだね?

 

秋子
(友則に)ここに貴ちゃんがいれば分かります?

 

友則
??

 

秋子
春花だけ、誰からも字をもらってないですからね。

 

友則
……ああ。なるほど。
しかし厳密に言えば違うだろう? 伯父さんの字をもらっている。

 

秋子
生まれるずっと以前に亡くなってて、会ったこともない人の字なんて、……ねぇ?(春花に)

 

春花
……そこまでは言わないけど。

 

秋子
でも、家族の誰からももらってないのが、不満なんでしょう?

 

春花
まぁ、そのとおり。

 

友秋がお茶をいれて戻ってくる。
各人の前に茶の入った湯飲みを置きつつ……
友秋
俺らは逆に、なんて安直な名前の付け方だ……って思ってたけど。……なぁ?(タカに)

 

貴秋
(頷く)

 

春花
そうなの?

 

友秋
そうさ。父さんと母さんの関係と、自分たちの名前を照らし合わせたら、どっちかが柳原(あっち)の家取りしなきゃいけないんだって、すぐに気がついたさ。
なんて面倒くさい家なんだ……てね(笑う)

 

貴秋
トモの言い方はキツいけど、まぁそんな感じだったね。
……まぁ、ぼちぼちそのあたりも真剣に考えないといけないかな? 僕らは。

 

友秋
さらに……だ。どっちが呼ばれてるか分かんなくなるわけ。
俺の場合は父さんと、タカの場合は貴子叔母さんと。ちっちゃい時だったけどね。

 

秋子
家の中は大丈夫だけど、余所でね(ため息)
小さいときは男の子でもトモちゃんタカちゃんって呼ばれることが多いから。

 

友秋
それでも俺は比較的に間違いは少なかったかな。父さんと友ちゃんと呼ぶのは母さんくらいだから(笑う)

 

貴秋
僕がよく間違ってたんだよ。近所じゃぁ、叔母さんが「たかちゃん」だったから。
ふたり同時に返事したりしてね(苦笑する)
春花はそういう苦労はしてないだろう?

 

春花
うん。「ハルちゃん」か「ハル」か「ハルカちゃん」だもんね。

 

貴秋
名付けた母さんがいちばん被害がないんだから、世の中つくづくアレだと思うね。

 

秋子
……(微妙な顔で視線をそらした)

 

春花
お母さん、本当の由来はなんなの?

 

秋子
由来?

 

春花
私の名前の。

 

秋子
……。

 

友則
(妻を見ている)

 

秋子
いくつかあるわ。

 

春花
一つじゃないんだ。

 

秋子
ええ。……ひとつは、あなたの伯父さん……私の兄さんの字をもらったの。とても尊敬する人だったから。ぜひに……と思って。

 

春花
うん。以前聞いた。

 

秋子
貴ちゃんが言ったこと、憶えている?

 

春花
貴ちゃんが名付け親だってこと?

 

友則
……。

 

秋子
ええ。……春花。

 

春花
はい。

 

秋子
明日、ちょっとふたりででかけましょう。

 

春花
いいけど……どこに?

 

秋子
……。

 

友則
……。
(読んでいた雑誌をたたむ)デートかね? 羨ましいな(微笑む)

 

友秋
じゃぁさ、お土産買ってきてよ。取り残される可哀相な男たちのために(笑う)

 

貴秋
高楼菜館のシュウマイなんかいいよね。

 

秋子
(タカをちょっと睨め付ける。タカは舌先をぺろりと出して、首を引っ込める仕草をする)
晩のおかずになるようなものを買ってくるわね。……あと、デザートも。
だから、あなたたちはしっかりお父さんを手伝ってちょうだいね。

 

貴秋・友秋
はいはいー。

 

友則
……お前たちは明日、倉庫奥の在庫チェックをしてもらおうかな。
返品できないゴミが溜まりすぎてるから。

 

貴秋・友秋
……げ。

 

友則
返事は?

 

貴秋
はーい……(肩を落とす)

 

友秋
わかりました~~(同)

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
○次の日 とある場所にある、とある霊園。
秋子と春花が岩下家の墓所がある某所霊園に来ている。
秋子の手には小さな花束。春花はビニールの手提げ袋を下げている。
ビニル袋の中身はペットボトルに入った水。そして煙草がひと箱。
秋子
(霊園の整備された道を歩いていたが、ふと立ち止まって、視界に広がる景色を見渡す。海が見える)……いい風。

 

春花
(母と同じく立ち止まる)うん。お天気良くて良かったね。

 

秋子
ええ、そうね(また歩き出す)

 

春花
(黙って母についていく)

 

○同霊園、岩下家墓所。
秋子と春花が岩下家の墓で手を合わせている。
持ってきた花を飾り、線香代わりにタバコの煙が立ち上っている。
秋子
(手を下ろして)早いわね。もう秋なんて。

 

春花
(母の顔を見る)あっという間に二年近く過ぎちゃった。

 

秋子
ええ。……お父さんがね、なんだか小さくなったように見えない?

 

春花
……そう……かな?

 

秋子
(微笑む)あなたたちの前では、いつものお父さん……ね。

 

春花
お父さんのこと、大好きだけどよく分からない。優しかったり恐かったり、不思議なことを言ったり。

 

秋子
(ぷ、と小さく吹き出す)私でも、よく分からない人なのよ。

 

春花
でも大好きなんでしょう?

 

秋子
ええ。大好きだから、一緒になったの。……正直、ちゃんと普通に結婚したかったわね。

 

春花
(肩をすくめて)……ごちそうさま。
今日ここに来たのは、名前の由来を教えてくれるからじゃないの?

 

秋子
ええ、もちろんそうよ。というか、どうして誰とも字が重なっていないことに、そんなにこだわるの?

 

春花
んー……わかんない。でも、ずっと気になってたから。
学校の課題でそれをふと思い出しちゃって。……それだけ。

 

秋子
ささいなきっかけで思い出すということは、それだけあなたの中では深刻な問題ということではないかしら?

 

春花
どうなんだろう。

 

秋子
「子」が付く名前が良かった?

 

春花
別に、珍しい名前がいいというワケではないわ。

 

秋子
私たちの年代は、名前に「子」が付くのは、とてもありふれたことだったんだけど(苦笑する)

 

春花
時代の流れってやつかな?

 

秋子
そうかもしれないわねぇ。……べつに時流に乗ったわけではないけれどね、あなたの名前は。

 

春花
それはなんとなく分かります。

 

秋子
あなたの名前はね。

 

春花
うん?

 

秋子
貴ちゃんのひと言で決まったようなものなのよ。

 

春花
決めたのは貴ちゃ……貴子叔母さんじゃないの?

 

秋子
貴ちゃん、で良いわよ? 今さらでしょう。

 

春花
……う……うん。

 

秋子
決定したのはお父さんだけど、でも貴ちゃんがあのひと言を言わなかったら、「ハルカ」にはならなかったでしょうね。
それこそ「はるこ」だったかも。

 

春花
へー。

 

秋子
元来女の子に「子」を付けるのは、身分の高い人だけだったのよ。

 

春花
そうなの?

 

秋子
ええ。明治に入って苗字を万人に付けるようになったあたりに、庶民も「子」を付けることが禁忌ではなくなったの。だから、みんなこぞって生まれてきた女の子に「子」を付けた……ということらしいわ。俗説かも知れないけどね。

 

春花
ふーん。……流行としてはすごく長くない?

 

秋子
長いわね。

 

春花
お母さんも流行にのって名付けられたんだ。

 

秋子
いいえ。

 

春花
違うの?

 

秋子
ええ。柳原の家は、女の子には慣例的に「子」を付けるの。
反対に春夏秋冬の字は付けられていない人が多いわよ。私たち姉妹(きょうだい)が珍しいくらいだわ。

 

春花
?(首をかしげる)

 

秋子
あなたは岩下の家で生まれたから、「子」を付ける必要がなかったのは事実ね。

 

春花
……よく理解できない。

 

秋子
(にこ、と笑う)そのうち分かるわ。

 

春花
春夏秋冬に子が付いちゃうと、読みのバリエーションがなさすぎだもんね。

 

秋子
あら、そうでもないわよ?

 

春花
えー?

 

秋子
私と同じ「秋」の「子」と書いて、「ときこ」さんとか、過去にいるわ。

 

春花
「とき……こ」……? (天を仰いで)漢字って深い。

 

秋子
(笑う)そうね。あなたは漢字が得意のようだけど、もっといろんなことを知ると、さらに面白くなってくるわよ。

 

春花
うー……。

 

秋子
もうひとクラス上げる? 漢検。

 

春花
……がんばります。お母さんよりも早く一級取るのが目標だもん。

 

秋子
あら、頼もしいわね、頑張って頂戴(ころころと笑う)

 

春花
話が脱線してます。
……で、貴ちゃんがなんて言ったから、私は「春花」になったの?

 

秋子
……。
『花でいっぱいの春に生まれるってのは、いいよね』って。

 

春花
貴ちゃんだって、4月のあたま生まれでしょ?

 

秋子
戸籍上はね。

 

春花
??

 

秋子
貴ちゃんね、お父さんと血が繋がっていないのよ。

 

春花
……え?

 

秋子
お父さんのお父さん……つまり、あなたのお祖父さんの養女なんですって。
どういう経緯かは分からないんだけど、赤ちゃんの頃に保護されて、大きさとかいろんな条件から、保護した日の2ヶ月くらい前に生まれたんだろうって、戸籍が作られたらしいわ。

 

春花
……(困惑した顔)

 

秋子
保護されてからさらに2ヶ月くらい経って、お祖父さん夫婦に引き取られたらしいの。お父さんの話が正しければね。
8月の中頃に赤ちゃんが来たって言ってたから。

 

春花
……知らなかった。

 

秋子
知らなくて当然よ。お兄ちゃんたちも知らなかったことだもの。

 

春花
今は知ってるんだ。

 

秋子
ええ。話したのは、つい先日のことだけどね。

 

春花
ふーん……。

 

秋子
春花。

 

春花
はい?

 

秋子
ずいぶん変わったわね。

 

春花
何が?

 

秋子
あなた自身が。女の子は男の子よりも早く大人になるし、いきなり成長するものだけど。

 

春花
そう……かな?

 

秋子
1年半くらい前と比べると、ずいぶん大人になった感じがする。
……貴ちゃんね。

 

春花
……。

 

秋子
もう少し子供でいいのよ?

 

春花
……。

 

秋子
……母親をなくしたも同然だものね。

 

春花
……お母さんは……

 

秋子
ん?

 

春花
お母さんのお母さんが亡くなったのは、いつだったの? お母さんがいくつの時?

 

秋子
中学生の頃よ。二年生の終わりごろだったわ。

 

春花
じゃ、そんなに変わらない。

 

秋子
そうでもないわ。中学から高校って、長いもの。過ぎてしまえばあっという間だけれど、少なくとも私の中では、時間が流れるのがとても遅い日々だった。

 

春花
んー…

 

秋子
それだけ、自分の心にいろんなものが飛びこんでくる時期ということよ。
大学はまた別の意味で長い日々だったけどね。
貴ちゃんと出逢ったし。お父さんともね。

 

春花
……中学に入ってからね。

 

秋子
ええ。

 

春花
友達があんまりいないんだ。ガリ勉しているつもりはないんだけど、ちょっと遠巻きにされてる感じ。

 

秋子
辛い?

 

春花
(首を振って苦笑する)……ゼンゼン。ヨッちゃんいるし。

 

秋子
……変なところが似てるわねぇ。

 

春花
はい?

 

秋子
私と(笑う) 私もね、中高と気が許せる友達がほとんどいなかったの。
東郷さんと佐和子先生くらいだったけど、あの方たちは年上だし……

 

春花
立場?

 

秋子
それは考えたことなかったわね。兄さんと姉さんがもう一人ずついる感じだったわ。
特に、知ってるでしょうけど、私は女姉妹(おんなきょうだい)とは仲が悪いから。

 

春花
お母さんが嫌ってるんじゃなくて、あっちが勝手にお母さんを嫌っているだけじゃない。

 

秋子
それでもね。兄弟姉妹(きょうだい)仲が悪いって、良いことではないのよ。

 

春花
うん。

 

秋子
だからね、あなたたちは、私のようにはならないで頂戴。……いい?

 

春花
……うん。
お兄ちゃんたちはどっちも優しいし、面白いから好きよ。

 

春花、ふと空を仰ぐ。
秋子も春花が見ていると思しき方向を見る。
空は秋色に澄んで、秋の雲が流れている。
春花
いい天気。……でもどうなの? 貴ちゃん、ここに入ってないのに。

 

秋子
(タバコを取り出して火を点け、火が落ちた燃えがらの横にそれを置く)なにごとにも形式は必要よ? ……お水、頂戴。

 

春花
あ……はい(ビニル袋からガサガサとペットボトルと紙コップを取り出す)
紙コップ嫌いだったのに、怒るんじゃない?(うふふ、と笑う)

 

秋子
さんざん自分のしたいとおりにやってたんだもの、今くらいちょっとは不便を体験してもらわないとね。

 

春花
そう言いながらさ、ちゃんと貴ちゃんの好きなタバコと水だもんね。お母さん矛盾してるわ。

 

秋子
そうかしら? 炭酸水に紙コップ臭って、なかなか強烈よ?
試してみる?

 

秋子、余分の紙コップにペットボトルの水(無糖の炭酸水)を入れると、春花に差し出す。
春花はそれを受け取って一口飲むと、盛大に表情をゆがめる。
秋子
どう?

 

春花
においがどうこうよりも、この炭酸水が苦手。……美味しくない。
なんでこんなものが好きだったの?

 

秋子
(自分もコップに炭酸水を入れて飲む)さーぁ? 
ふたりでね、初めてフランスに行って飲んで以来、炭酸水がお気に入りだったわねぇ。
サイダーやラムネも好きなんだけど、甘すぎて口がベタベタするって言ってたから、そのあたりが理由かかもね。

 

春花
大人の味覚は分からないわ。

 

秋子
そのうち分かるわよ。……そう言えば、梅酒を盗み飲みしているのはあなたかしら?
炭酸水も同時になくなるのだけど?

 

春花
……ぶっっ……。

 

秋子
……(目だけで笑っている)

 

春花
いえ……その……。お、お兄ちゃんたちが飲んでるのを見るけど?

 

秋子
……。

 

春花
それをちょこっともらってる……だけ、デス。

 

秋子
そういうことにしておきましょうか。

 

春花
……そういうことにしておいてください。

 

春花はえへへ、と苦笑いし、秋子は鼻でふふんと笑う。
墓所の敷地内にある石のベンチにふたりで座り、
遠く海を眺めながら紙コップの中身をちびちびと飲む。
秋子
春花、憶えておいて。
確かにあなたは伯父さんの字をもらっただとか、柳原の慣例に則ったとかあるけども、貴ちゃんのひと言がなければ、「春花」にはきっとならなかったわ。
それとね……

 

春花
なに?

 

秋子
貴ちゃんが私の背中を押してくれなければ、あなたは生まれても来なかったかもしれない。
貴秋と友秋がいるから、もう子供は作らないつもりだったの。自分自身がそれで苦労や嫌な思いをたくさんしたから、兄弟姉妹(きょうだい)で争う種を作りたくなかったし。

 

春花
……。

 

秋子
だから、妊娠したと分かったとき、悩んだの。産むか産まないか。
でね、お父さんに言う前に、貴ちゃんに相談したの。…彼女が出す答えが分かっていたのにね。

 

春花
産めって言うって?

 

秋子
ええ。分かっていて、背中を押してもらったの。ただ、貴ちゃんは気まぐれだから、万に一つ「堕胎(おろ)ろせ」という可能性もあったのよ。

 

春花
限りなくゼロに近い可能性のような気がする。

 

秋子
でも、絶対に言わないという保証はないわ。

 

春花
その低すぎる可能性に賭けたの? お母さんは。

 

秋子
(首を横に振る)……分からないわ。でもどっちでも受け入れるつもりだったから。
だから、あなたは貴ちゃんの「産めばいい」ってひと言があったから、私は産む決心をしたの。

 

春花
他力本願だなあ。

 

秋子
難しい言葉を知っているわね。
……。
あなたが私をどう思おうとも仕方がないわ。
私たちはある意味相互依存してた。
貴ちゃんはあからさまに私に甘えていたし、私も貴ちゃんの存在に甘えていた部分があるの。

 

春花
……。

 

秋子
あなたは、私とお父さんの子供だけれど、貴ちゃんの子供でもあるのよ。
貴ちゃんのひと言で産まれて、そして貴ちゃんのひと言で名前もほぼ決まった。
それを、憶えていて頂戴。
もしかしたら、柳原はあなたが継ぐことになるかもしれないから。

 

春花
なんで?

 

秋子
そう貴ちゃんが言ったことがあるの。

 

春花
なにもそこまで貴ちゃんの言葉を信じなくても。

 

秋子
ええ。そうなのだけど、貴ちゃんは物事の本質を鷲掴みにして引きずり出すところがあるから。
可能性としてそういうのもあるかな、と思うのよね。

 

春花
んー……。

 

秋子
もし、あなたが柳原春花になる時が来ても、あなたは間違いなく岩下春花で、私とお父さんと、そして貴ちゃんの子供だということを、忘れないで欲しい。

 

春花
……。

 

秋子
私があなたに望むことは、それだけよ。
……普通に考えれば、あなたは岩下でも柳原でもない、別の苗字になるのだろうしね。

 

春花
……そう……だね。

 

秋子、春花の手にした紙コップをこちらに渡せと手招きする。
春花は紙コップを秋子に渡す。
秋子、ベンチから立ちあがって、墓石の前に進むと、火が落ちた吸い殻4本を紙コップに入れ、さらに備えた水を地面に流して、その紙コップを2つの紙コップに重ねる。
秋子
(ゴミをビニール袋に入れながら)……帰りましょうか?

 

春花
うん(立ち上がる)

 

秋子
夕方のラッシュが始まる前に、晩のおかずを買わないと。

 

春花
シュウマイ?

 

秋子
ええ、そう。……どれだけ食べるかしらね(ため息)

 

春花
どっちもスポーツマンだから(笑う)

 

秋子
デザートは何がいい?

 

春花
んー。私はねー、白いプリンがいいな。でもお兄ちゃんたちは黄色の方が好きよ?

 

秋子
はいはい。杏仁豆腐とマンゴープリンね。お父さんは桃饅頭……っと。

 

春花
結局さー、お母さんがいちばん甘いと思うわ。我が家の誰よりも。

 

秋子
そりゃーねぇ……さらに手のかかる大きな子供が二年近く前までいたんだから。

 

春花
ねぇねぇ、いつか近いうちに本物の中華が食べたい。柳原(あっち)の家でできないの?

 

秋子
できるわよ。常駐ではないけど、シェフがいるもの。
……て、そういうのが食べたいのね。

 

春花
うん。中華大好き(にっこり笑う)

 

秋子
……お父さんが苦手なのよね。……でもいいわ。説得してあげる。

 

春花
やった!

 

秋子
じゃ、漢検に合格したらってことにしましょうか。

 

春花
ええー!!

 

秋子
こういうのを『飴とムチ』というのよ(にやりと笑う)
がんばって頂戴。私も楽しみにしているから。

 

春花
はーい。

 

秋子
さ、行きましょ(歩き出す)

 

春花
はーい(追いかける)

 

秋子
(追いついてきた春花にささやく)
……今度はちゃんと連れて行くわね。

 

春花
はい?

 

秋子
貴ちゃんを散骨をしたところに。

 

春花
!……。
……うん。

 

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