オリジナル格納庫

ある意味、カオスの巣窟。

あの桜並木の下で 小品集 後期

しあわせってなんだっけ?

しあわせってなんだっけ? 本文

とある春のとある日。
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【その1】
 
『♪しあわせーって、なんだーぁっけ? なんだーぁっけ?…♪』
そんな脳天気な調味料のCMがTVの向こうから流れてたのは、高校生くらいの頃だったろうか。当時人気だったらしいコメディアンが、醤油を手にくねくね踊っていたような違ったような。
CMの内容はよく憶えていないけれど、歌だけは耳に残っている。
『家族の幸せ』をTVの向こうで朗らかに歌うコメディアンが、当時はとても嫌いだった。
なぜって。
そりゃぁ………。
当時の我が家は、いきなり家長が亡くなってみたり家が傾きかけてみたり。TVの向こうみたいな脳天気でシアワセな日々を過ごせる状態じゃなかったから。
『♪しあわせーって、なんだーぁっけ? なんだーぁっけ?…♪』
まるで自分と兄貴とそれを取り巻くいろんなものが、自分たちの周りを走馬燈のように流れていく日々。指を開いて掴んでみても、握った指の間からすべてが逃げていく感覚。
そんな日常の中で、気がつくとそのCMソングを口ずさんでいる自分。
CMそのものは好きではなかったけど、歌は嫌いじゃなかったらしい。くねくねと踊るコメディアンのそのくねくねした様子が苦手だっただけかもしれない。事実、今現在の彼は嫌いじゃない。それどころか尊敬さえしている。
『♪しあわせーって、なんだーぁっけ? なんだーぁっけ?…♪』
最近また、この歌を口ずさむ自分がいる。
ある日ふと思い出して、以来ひとりの時に口ずさむ。口ずさんでいる時の自分は、きっと笑ってさえいる。
楽しい。
嬉しい。
あの頃はこの歌を口ずさんでも心は晴れなかった。でも口ずさまずにはいられなかった。
今は、この歌を口ずさむことが、嬉しい。
『♪しあわせーって、なんだーぁっけ? なんだーぁっけ?…♪』
この歌の真価は、今自分が「しあわせであること」なんだな。うん。
今やっと分かった。
二十年以上かかったけど、嬉しい。
嬉しいな。うん。
空が青い。雲一つ見えない。
白いのはただ、土手の桜並木だけ。
桜の花が、雲に見える。
川………。
淡い緑。
黒っぽい茶。
白。
青………。
「いつ見ても変わらないね。……ま、それが良いんだけど。」
風。
頬を撫でていく。
春が、いっぱいに香っている。
花が、咲き乱れてる。
『♪しあわせーって、なんだーぁっけ? なんだーぁっけ?…♪』
「家族がまたひとり、増えたことさっ♪」
兄貴、柳原、ブラザーズ、おめでとさん。
ひゃっほー!!
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【その2】
 
(……ん?)
『♪~♪~~』
「………」
最近、鼻歌がかすかに聞こえる。
音のするほうに顔を上げると、必ずぴたりと止まってしまう、不思議な鼻歌。
時には風にのって微かに流れてきたり、手を伸ばせば届くくらいの至近距離から一瞬だけ聞こえたり。
私がわずかに反応して動いただけで、必ず鳴りを潜めてしまう、不思議な鼻歌。
『♪~♪~~』
だから私は今、その鼻歌が聞こえてきても、動かない。黙ってゆっくり目を閉じる。
そうすれば、最後のフレーズまで聴けるときがあるから。
『♪~♪~~』
よくよく聴いていると、自分が高校生くらいのときに、TVからよく流れていた曲だと気がついた。
そういえば最近も、この曲がTVから流れていたような気がする。
CMの真似をして子供たちが踊っていたようないなかったような。
「懐かしいわね」
独りごちる。歌が止まる。
しまったしまっった。小鳥は逃げてしまっただろうか。
『♪~♪~~』
良かった。大丈夫なようだ。
陽気な声。機嫌がいい。
でも、誰かが聴いていることを察知すると歌わない。シャイで天の邪鬼な小鳥。
『♪~♪~~』
(こんなにきれいな声なのに、どうして人前で歌うのをあんなに嫌がるのかしら?)
そんなことを思いつつ、最後のフレーズが聞こえることを、私はひそかに期待している。
今日は最後まで行くだろうか? どうだろうか。
小鳥が歌う最後のフレーズがとても好き。
彼女がそれを心底喜んでくれているのが分かるから。
神よ。
小鳥にも祝福を。
新しい命を言祝ぐ小鳥に祝福を。
彼女が望んで生まれた新しい命だから。彼女が私の背中を押さなければ、生まれてこなかった命だから。
小鳥に祝福された私の娘が、小鳥に幸せを運ぶ存在となるように。
私はそれを願って止みません。
神よ。
『♪~♪~~』
風に乗って微かに届く、祝福の鼻歌。
『――――!』
私は目を閉じて微笑む。
最後のフレーズが、聞こえた。
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【その3】
 
『しあわせーってなんだーっけ? なんだーっけ♪……』
 
「あの歌はなんだ?」
「あ"?……知らないの?最近テレビで流れてるじゃない。」
「……いや、知らんな。」
「ずいぶん昔にも流行ってた歌よ?知らない?」
「……知らん。」
「世の流行(はやり)を知らんとは。」
「ちょっと問題があるかもね。」
「………。はじめに流行ったのはいつ頃だ?」
「えーと……私たちが高校くらいの時……よねぇ。」
「うん、そう。兄貴はもう社会人になってたわね。……ま、知らなくても当然か。」
「……なんでだ?」
「第一次・岩下危機の時だもの。」
「……ああ。……なるほど。」
「………」
「テレビなんて、見るヒマなかったものねぇ。」
「ふむ、そうだな。……しかしお前は憶えてるのか?」
「あれだけ巷にあふれかえってればね。」
「そんなに流行ってたのか。」
「バブルで浮かれてたんでしょ。世の中は。」
「浮ついた感じがしてたわね、常に。」
「そんな時代にあたしらは、馬車馬のよーに走り回ってたわけだ。」
「うーん……忙しかったことくらいしか憶えてないな。」
「そうね。妹がこっそり何してたかすら、見えてなかったもんね。」
「………」
ところで、あれはどういう意味だ?」
「なに?」
「ちびたちが……。ああやって醤油の容器を振り回すようなものなのか?」
「……醤油屋のCMソングだもの。」
「中身は空よ。……貴ちゃんが染料で内側から色を塗ったの。」
「ふーん。」
「気のない返事ねぇ。」
「いや、ヘンなところで凝るんだな、と思ってね。」
「いつものことじゃん?」
「……うむ。そうだな。」
『しあわせーってなんだーっけなんだーっけ♪……』
「幸せか……」
「お。おっさんの蘊蓄が始まりますか?」
「茶化さないのよ。」
「へいへい。……兄貴の幸せって、なに?」
「………」
「………」
「………」
「あのーもしもし?おにーさん??」
「……分かりきったことを訊くな。」
「あら。」
「あら?」
「出来ましたら、後学のために。」
「やだね。」
「ぉ。」
「あら。」
「そう言うお前はどうなんだ?」
「………。そりゃー、決まってるじゃない。」
「ほう?……では、とっとと嫁に行け。」
「あら、非道い。」
「ふふ……」
「思ってもないことを言ってはダメよ?友ちゃん。」
「ふふふ……」
『しあわせーってなんだーっけなんだーっけ♪……』
「オレが思うに、この場にいる全員が、同じ答えではないのかね?」
「さて、どうでしょう?」
「天の邪鬼がいるしね。」
「誰のこと?」
「さぁ?」
『しあわせーってなんだーっけ? なんだーっけ♪……』
『しあわせーってなんだーっけ? なんだーっけ♪……』
『しあわせーってなんだーっけ? なんだーっけ♪……』
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