あの桜並木の下で 小品集 時間外

家族の肖像

ここにも、恋に人生を狂わせた人間がひとり……
 時間外
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○柳原グループ本社 総裁室
朝。
秘書室次長の地位にある貴秋が、会長である秋子と朝の打ち合わせ中。
どちらも淡々と仕事の顔。
 貴秋   ……以上が本日のスケジュールになっています。
 秋子   (ノートパソコンを見ながら頷いて)わかりました。こちらからの変更要請は特にありません。
 貴秋   了解いたしました。
 秋子   (ちょっと嬉しそうに目を細める)
 貴秋   ……(秋子のその様子を、バインダー越しにちらりと見る)
 秋子   今日は早く帰れそうね。
 貴秋   ……そうですね。(微妙に歯切れの悪い音を発した)
ピンポンが小さく鳴る。貴秋は総裁室の出入り口へと向かい、中から扉を開ける。
ドアの向こうからコーヒーが二杯乗ったトレーを受け取る。
秋子のデスクにそれを持っていき、一つを秋子の右手側斜め上の位置に置くと、
もう一杯のコーヒーは自分用のテーブル(暫定的に資料などを置くためのやや背の高い
サイドテーブルに似た形状のモノ)の上にトレーごと置いた。
 秋子   岩下くん? (小首をかしげて、秘書の方を見る)
 貴秋   はい?
 秋子   何か思案ごと?
 貴秋   いえ……そういうわけでは。
 秋子   その割には、歯切れが悪いわね。
 貴秋   そんなことは……。
 秋子   そう?
 貴秋   はい。
 秋子   ……。
 貴秋   ……。
 秋子   はっきりおっしゃい。言わなければならないことがあるのならば。
 貴秋   ……わかりました。
      会長……いえ、お母さん。今晩、時間を作っていただけないでしょうか?
 秋子   ……。
      それは、個人的にということね。
 貴秋   はい。
 秋子   私を『お母さん』と呼んだからには、会社のことではないのね?
 貴秋   ありません。全く個人的なことです。
 秋子   あなたの?
 貴秋   はい。わた……いえ、僕の。
 秋子   ……わかりました。
      本来ならペナルティものだけど、今回は私が言わせたのだから、私がペナルティを負うべきね。
 貴秋   いえ……そんなことは。
 秋子   いいえ。けじめはきっちり付けないとね。私はあなたの母親で あなたは私の息子だけど、
      ここでは上司とその部下だもの。それを崩してはいけないの。
 貴秋   仕事に私情は挟むな……ということですね。
 秋子   ええ、そう。今後あなたが私のあとを継いでこの会社のトップに立つならばなおさらのことよ。
      あるいは春花が私のあとを継いで、あなたが春花の支柱になるとしてもね。
 貴秋   ……わかりました。
 秋子   そいういうわけで、今夜はあなたのために時間を作るわ。……お父さんにはよろしく言っておいて頂戴。
 貴秋   了解しました。ありがとうございます。
 秋子   (はっきりと頷いて)じゃ、コーヒーを飲んで一息いれたら、仕事に戻りましょ。
      今日は何が何でも定時に上がるわよ。
 貴秋   はい。
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○同日夜 柳原邸 家族用食堂
洋間の広い家族用食堂の一角を障子格子の折れ式衝立で仕切って、その中に畳を6畳分敷いた場所。
そこに岩下家と同様のちゃぶ台(こちらの方がやや古びている)が置いてあり、
そこでゆっくりとお茶を飲んでいる母と長男。
 秋子   ……おいし……。
 貴秋   ありがとうございます。
 秋子   誰に似たのかしらね? こういう気が利いているところとか、お茶を入れる才能とか。
      我が家にはあまりこういうのに長けた人はいなかったけど。
 貴秋   ……いらっしゃいましたよ。
 秋子   あら、どなた? ……過去形ね。
 貴秋   解ってらっしゃるなら、わざわざ訊かないでください。
 秋子   ……ごめんなさい。歳を取るとね、口の方がついつい先に出ちゃうのよ。
      あとから思い立って、ああそうだった、って思うのよね。
 貴秋   まぁ、僕にはぜんぜん真似できません。まだ。
 秋子   そうなの?
 貴秋   ええ。ぱっと見ぜんぜん気を遣わずに乱暴に淹れているように見えてたんですが、
      飲むととても美味しかったですよ。
      ぼくら兄弟妹(きょうだい)が飲み物の味にうるさいのは、まちがいなく貴子さんのせいです。
 秋子   お抹茶以外では敵わなかったわねぇ。2、3回淹れただけで、コツを掴んじゃうのよね。
      水との相性もすぐ掴んじゃうし。さすが野生児(ふふふ、と笑う)
 貴秋   ゴールデンルールなど、知らなかったと思うんですが、今考えると。
 秋子   知らなかったでしょうね。知ってたとしても無視してたでしょうし。
      淹れ方がどうのこうのじゃなくて、自分が美味しければいい人だったし。
 貴秋   そうでしょうね。
      ……貴子さんの自由さを、見習いたいです。今も。
 秋子   そうね。
      ところでタカくん。今日のご用はなあに?
      ここじゃ話しにくい?
 貴秋   ……いえ。人払いをしていただければ。
 秋子   今は東郷だけよ? ……ねぇ?(衝立の向こうに声をかける)
 東郷   (声のみ)はい、奥様。厨房に若干名居残ってますが、洗い物が終わり次第全員帰宅するよう
      言ってあります。
 秋子   (貴秋に)ですって。
 貴秋   ……できたら、東郷さんも……。
 秋子   (肩をすくめて、そして再び衝立の向こうに)ですって。
 東郷   ……。
 秋子   (貴秋に)でもタカくん。あなたの話を私が聞いて、明日東郷に言うかもしれないわよ?
 貴秋   それはそれで構いません。それはお母さん、ひいては会長のご判断ですから。
 秋子   でもあえて、今は二人っきりで話したいのね?
 貴秋   (大きくうなずく)はい。
 秋子   ……わかりました。
      (立ち上がって衝立の向こうに行き、東郷の方を見て)……ですって。
 東郷   (顔色ひとつ変わらず)畏まりました。
 貴秋   (立ち上がって、衝立の向こうへと)すみません、東郷さん。
 東郷   いえ。……私は玄関横の当直室におりますから、終わりましたらご連絡を。
東郷、深々と一礼して、部屋から出て行く。
部屋には秋子と貴秋のみが残る。
また衝立の中、ちゃぶ台のおのおの所定の場所に座る。
しばし対峙。貴秋は何やら言いづらそうにうつむいている。
そして沈黙は母親から破られる。
 秋子   よほど、話づらいことなのね?
 貴秋   ……ええ、まぁ……。
 秋子   (お茶を飲む)
貴秋、座っているところから膝で移動し、
秋子から見て3時の位置で、きっちりと正座し直す。
両手を自分の膝の上に置いて、秋子を正面に見据える。
 貴秋   お母さん。以前……かなり前ですが、秘書課にいた鹿原晴恵を憶えてらっしゃいますか?
 秋子   鹿原、晴恵? ……ああ、晴恵さんね。ええ、憶えているわよ。
      お化粧や服装がかなり慎ましくて。……大人しいけど、きっちり仕事をこなす子だったわよね。
      東南アジア方面の言葉が堪能だったわ。
      得意な言葉はマレーシア語。……違ったかしら?
 貴秋   その通りです。
 秋子   その晴恵さんがどうしたの? あなたが言うようにずいぶん前に辞めたわよね。
 貴秋   はい。……辞めたのは6年前。退職理由は、結婚でした。
 秋子   そうそう。そうだった。お見合いをしてトントン拍子に話が進んだ……って。
 貴秋   はい。
 秋子   あの時は少し困ったわ。次の通訳を探さなくちゃいけなくなったから。
      外部から雇うと、そこからの漏洩がねぇ……。仕事の内容もわかった人じゃないと、
      話しにくいこともあるしね。
 貴秋   ……。
 秋子   あら、ごめんなさい。話の腰を折ってしまったわね。
 貴秋   ……いえ。
      ……で、ですね。その鹿原晴恵のご祖父母さまが、2年ほど前、会社に私を尋ねて来られまして。
 秋子   あなたを? なぜ?
 貴秋   ……その……。
 秋子   ……タカくん。
 貴秋   ……。
 秋子   一つ訊くわ。今、あなたの前にいるのは、あなたの母親? それとも上司?
 貴秋   ……お母さんです。
 秋子   わかったわ。じゃ、その立場で聞くわね。
      で、晴恵さんのお祖父さまとお祖母さまが……。……が?
 貴秋   え…と、鹿原には、ご両親がいないという話でした。高校生くらいの時に、どちらも亡くなったとかで。
 秋子   そう。……ごめんなさい。続けて頂戴。
 貴秋   はい。……それで、お二人が言うには、鹿原は、今から4年前に亡くなったと。
 秋子   ……それをわざわざあなたに言いに? なぜ?
      辞めた会社の上司だったから……ではないわよね?
 貴秋   そして、僕に……子供を引き取って欲しいと。
 秋子   ……はい? どうして?
 貴秋   ……その……僕の、子供だから……です。
 秋子   …………え?
 貴秋   僕も、始めて知ったんですが……2年前に。
 秋子   ちょ、ちょっと待って。話を整理させて頂戴。
 貴秋   ……はい。
 秋子   鹿原晴恵は、第二秘書室に所属していて、その頃あなたは秘書2(ひしょに)の主任だった。
 貴秋   はい。
 秋子   彼女が退職したのは6年前で、理由は結婚、それもお見合い。
 貴秋   ……。
 秋子   2年ほど前、彼女のお祖父さまとお祖母さまがあなたに会いに来て、
      彼女は2年前に亡くなりました、と言った。
      ……つまりは今から4年前に亡くなっていた。
      そして彼女の子供をあなたに引き取って欲しいと言っている。
      ……これで間違いないかしら?
 貴秋   その通りです。
 秋子   そして、その子は間違いなくあなたの子供だと、あなたは確信しているのね?
      ……というか、結婚したはずの、晴恵さんのダンナさんはどこに行ったの?
 貴秋   いなかったんです。どうやら嘘だったらしく。
 秋子   ……はぁ?
 貴秋   退職したのは、子供ができてたから、だったらしくて。
 秋子   ……。
      残酷な事をいうようだけど、本当にあなたの子供なの?
 貴秋   DNA鑑定で、ほぼ間違いないと。
 秋子   ……やったんだ、検査。
 貴秋   鹿原のお祖父さまたちが訪ねてみえてから、さほど経ってない頃に。
      佐和子先生にお願いして、僕から母さんに言うまでは、口止めを……。
 秋子   ……で、2年も隠していたのね。
 貴秋   すみません。どう言ったら分からなくて、ずるずると……。
 秋子   養育費は?
 貴秋   親子関係が確定してからは、ずっと。……少額ですが。
      その、認知も、すでに。
 秋子   ……そう。
      あなたもいい大人ですもの、何があっても驚かないけど。
      ……つき合っていたの?
 貴秋   いえ。
      ただ、ある日……それこそ退職する4ヶ月ほど前に、告白されまして。
      ……その、出張先で。
 秋子   ……。
 貴秋   僕の出張先……シンガポールまで、押しかけて来た……というのが真相で。
 秋子   ……。
 貴秋   それで……その、どうしても断り切れなくて、……1回だけ……。
 秋子   ……ストップ、貴秋。
      それ以上はいいわ。
 貴秋   ……すみません。
 秋子   当たりがいいわねぇ……と言うか、タカくん。避妊はちゃんとやらないと……。
 貴秋   ……(完全に、叱られた小学生みたいな顔になっている)
 秋子   (失言したと気がついて、指先で口を押さえる)
      それにしても、晴恵さんが退職すると言った時点で、気にならなかったの?
 貴秋   気には、なりました……が。その……
      告白された時に、ですね、すでにお見合いすることは、決まってるという、話で。
 秋子   だのに、手を付けた。
 貴秋   ……。
 秋子   ……あなたのことだから、最後の最後で非情にはなれなかったのね。
 貴秋   ……はい。……すみません。
 秋子   相変わらず、変なところで詰めが甘いわね。
      ……でも、私は……お母さんはね、そんなあなたが好きよ。
      お父さん、そっくり。
      ……トモくんのほうが、実は最後の最後で非情になれる。
      私によく似てて、ちょっと怖いのよ。
 貴秋   ……お母さん……。
      あの……その……一つだけ、言い訳していいでしょうか?
 秋子   (あら珍しい、という顔で)ええ、どうぞ
 貴秋   その……なんでDNA鑑定をすぐにしたかというと……
 秋子   うん。
 貴秋   その時、ちゃんと避妊をですね、してたから……なんです、が。
 秋子   だのに結果はクロと出た。
 貴秋   (大きな体を小さく縮めて)……はい。
 秋子   ……。
    どの方法で避妊したかまでは訊かないけど、男性主体だと、万全な避妊って、実はないのよね。
    相手がピルでも飲んでいない限り……ね。
 貴秋   ……。
 秋子   本来、避妊というのは、双方がきっちり考えてやる必要があるのよ。
      それをしなかったから、春花が生まれたんですもの。
 貴秋   ……そう、だったんですか?
 秋子   ええ。あなたたちが生まれたあと、きっちり避妊してたのよ、私たち。
      妊娠したときは驚いたし、産むか産まないか少し悩んだけど、産んだことを悔やんだりはしてないわよ。
 貴秋   ええ。それは知ってます。
      お父さんも、お母さんも、貴子さんも、すごく喜んでましたよね。
 秋子   ええ。
 貴秋   僕とトモも、妹ができて、とても嬉しかったです。
 秋子   あなたたち、いつも春花を取り合ってたものね。あの頃は毎日大騒ぎだったわ。
 貴秋   春花の件で、一日一回は、貴子さんに叱られてました。
 秋子   あら、そうだったの(くすくすと笑う)
      ……ところでタカくん。
 貴秋   はい。
 秋子   あなた、今までぜんぜん女っ気がなかったけど、誰かつき合ってた人はいないの?
 貴秋   いません。
 秋子   あら、即答ね。
 貴秋   ええ。これだけは断言できますから。
 秋子   ……ふむ。
 貴秋   ……。
 秋子   誰か、好きな人とかもいなかったの?
 貴秋   ……。
 秋子   言いたくなかったら、別に構わないわよ。あなたもいい年した大人なんだし。
      私の兄……あなたの伯父さんも、亡くなったときは40に手が届こうとしてたけど、独身だったしね。
 貴秋   ……いえ。いい機会なので、お母さんにはお話ししておきます。
      でも、僕から、お父さんには話せません。
 秋子   ……私がお父さんに話すかもしれないわよ?
 貴秋   それは構いません。……しかし……
 秋子   わかった。……ちょっと待って。
      (居住まいを正して)……どうぞ?
 貴秋   ……先に言っておきます。先日、春花が結婚しない宣言をしましたが、僕も結婚はしません。
 秋子   ……。
 貴秋   できるならば結婚したいと思う相手はいます。でも、それは無理です。
      だから、僕は結婚しません。
 秋子   ……あなたまで、死んだ人を想っているのかしら?
 貴秋   いいえ。僕の相手は生きています。身近な人です。
      彼女を守るためなら、僕は何でもします。そう誓いました。19の時に。
 秋子   (顔が曇る)……タカくん……まさか。
 貴秋   (悲痛な顔で)……。
      ……僕が、心から愛しているのはただひとり……
 秋子   ……(タカを制すように、手を自分の胸の位置に上げる)
 貴秋   ……春花です。
      春花以外、僕は誰もいりません。
 秋子   (視線がぐるりと部屋を巡り、タカを見据える)…貴秋……。
貴秋と秋子、しばし対峙。
タカは厳しい顔で秋子をまっすぐ見つめ、
秋子は当惑した表情でタカを見ている。
 秋子   ……許されざることよ。それはわかってるのね。
 貴秋   はい。
秋子、視線を落とし、そして再び上げて貴秋を見る。
 秋子   貴秋。一つだけ。一つだけ、約束してちょうだい。
 貴秋   ……。
 秋子   ……あなただから大丈夫だとは思うけれど。
 貴秋   ……。
 秋子   決して、一線だけは越えないと。
       誰かを好きになることは悪い事じゃない。
       好きになるのに理由は要らない。それはね、親兄弟が相手であってもそうだと言えるわ。
       でもね、一線を越え……
 貴秋   (秋子の言葉を遮って)大丈夫です、お母さん。
 秋子   ……。
 貴秋   僕がいくら春花を愛していると言っても、春花にはその気はないじゃないですか。
       春花が愛しているのは……貴子さんだけです。
 秋子   ……タカくん……。
 貴秋   僕らは知っていました。春花は小さいときから貴子さんしか見ていなかった。
       貴子さんも、僕らには見せない表情を、春花にだけは見せるんです。
 秋子   ……そうだったわね。
 貴秋   貴子さん本人はどう考えていたかは、当時、僕はまだ子供だったので、
      よくは分からなかったのですが、今だったらなんとなく理解できます。
 秋子   ……。
 貴秋   彼女たちは相思相愛だったと、今の僕は、そう理解しています。
      だから、二人のあいだに割って入ろうとは思いませんし、できないでしょう。
      ……それは、先日、春花本人の口から、全員が聞いたじゃないですか。
 秋子   ……そうね。
 貴秋   それと、この手の話題が出たら、僕かトモか、どちらかがお母さんには言おうと思ってたんですが。
 秋子   まだ何かあるの?
 貴秋   はい。
 秋子   ……今だったら何でも驚かずに聞けそうね。続けてちょうだい。
 貴秋   僕らが二十歳(はたち)になるかならないかの頃だったんですが。
 秋子   貴ちゃんの一周忌前ね?
 貴秋   ええ。
      そのころ、僕ら大喧嘩をしまして。
 秋子   トモ君と?
 貴秋   ええ。
 秋子   珍しい……というか、そんな素振りはまったく見せなかったわね。私にもお父さんにも。
 貴秋   (困ったような顔で微笑む)
      ……で、その喧嘩の内容なんですが。
 秋子   原因ではない?
 貴秋   はい。内容です。
      ……実は、春花の取り合いを……。
 秋子   はぁ?
 貴秋   トモも僕も、春花が好きだったんです。自分が世界でいちばん春花を愛してると思ってました。
      それで、貴子さんが亡くなったあと、僕らの関係が、だんだんと険悪になってしまって。
      ある日、殴り合いに(頭をぼりぼりと掻く)
 秋子   ……(毒気を抜かれた顔)
      でも、あなたたちが大ケガをしたとか、顔を腫らしてたとかって、記憶がないわよ。
      殴り合ったなら、青アザ作ったり、血が出たりしたんじゃないの?
 貴秋   青アザもケガも、派手に作りましたよ。……ただ、顔だけは殴らないって、決めてましたね。
      子供の時から。
      ……みんなに心配をかけたくなかったんで。
 秋子   は……。
 貴秋   あの時はもう長袖を着る時期だったんで、助かりました。
 秋子   ……あきれた……。
 貴秋   どっちが春花を守る権利を得るかなんて、今考えたら馬鹿なことで殴り合ったなと思うんですけど、
      でも、僕らには必要な通過儀式だったと思ってます。
 秋子   本当ね。
      ……で、タカくんが勝ったのね。
 貴秋   はい。
      トモは、その時の約束を守ってます、今も。……だから、結婚したんですよ。
 秋子   ……自分の息子たちが、こんなにも愚かな人間だったんて、今の今まで知らなかったわ(天をあおぐ)
 貴秋   ……すみません。
 秋子   いいのよ。その愚かさは、私は嫌いじゃないわ。
      とても人間くさい。
 貴秋   ……。
 秋子   その話は、そのうち二人そろった時に、あらためて聞きたいわね。
 貴秋   はい。トモに言っておきます。
      ……ちなみに、その日は晩ご飯を食べるのが大変でした。
 秋子   そうでしょうね(苦笑する)
 貴秋   僕もトモも、そろってご飯のあとに戻しましたね。
      僕は店側のトイレで、トモは倉庫側のトイレで。
 秋子   そこまで徹底して私たちに悟られないようにするなんて、ホントにバカな子たちね(まだ苦笑している)
 貴秋   部屋に戻って、お互いのケガの状態の酷さをあらためて見て、なんだか可笑しくなって……
      二人で笑い転げて。……1時間くらい笑いが止まらなくて。
      それで兄弟喧嘩は終わりです。それまで微妙に僕らの間に流れてたわだかまりも消えました。
 秋子   ……ホント、男の子……いえ、男の人ってよく分からないわ。
      些細なことからいがみ合うのは、女も同じなのにねえ。
      男性はこちらが理解できないようなきっかけで、仲直りしたり親密になったりするのよね。
 貴秋   基本的に、男は単純ですからね。……でも、嫉妬心は男のほうがどろどろしてますよ。
 秋子   それは分かるわ。数え切れないほど、そういう場面を見てきたもの。
      ……。
      ……あなたたちの間に、そんなことがあってたなんてねぇ……私たちは、親失格ね。
 貴秋   いえ、そんなことは……。
 秋子   あなたたち3人は、貴ちゃんが育てたようなものですもの。
      忙しかった……は、理由にはならないわ。
 貴秋   お母さんがこんなに忙しい立場にいることを、会社に入るまで知りませんでしたよ。
      どうして毎日家に戻ってこないのか、とトモと二人でよく考えてましたし、
      どうやったらお母さんが、毎日家にいてくれるようになるのか、話し合ってもいましたね。
 秋子   ……そうだったの。
 貴秋   ええ。
 秋子   ごめんなさい……本当にダメな母親ね。
 貴秋   (首を横に振る)いえ。僕ら兄弟妹(きょうだい)にとって、お母さんは最高のお母さんです。
 秋子   タカくん……。
 貴秋   ……えっと……話がずいぶん横に逸れましたね。
 秋子   ……そうね。ごめんなさい。
      結局のところ。あなたはその、鹿原晴恵さんとの子供を、引き取ろうと思っているんでしょう?
 貴秋   はい。認知もしていますし、月イチですが、会いにも行っています。
      実は鹿原のお祖父さまが亡くなられまして。先日、四十九日法要があったんですが。
      その時に、お祖母さまからあらためて正式に引き取って欲しい旨を相談されました。
 秋子   なるほど。
      隠しきれなくなったから、相談したというわけね。
 貴秋   (痛いところを突かれたという顔で)……そ、その通り、です。
 秋子   んー……どちらにしても、みんなに相談するしかないでしょうね、この話は。
 貴秋   どうせ僕はもう岩下の本宅から出た人間で……
 秋子   だからと言って、いつまでも隠せるわけないでしょう。犬や猫の子じゃないんだから。
 貴秋   ……はい。
 秋子   この話は、とりあえずは私の胸の内に収めておくけど、近いうちに家族会議をあなたが開きなさい。
      ……たぶんみんな、最初はびっくりするでしょうけど、すぐに喜んでくれるわよ。
      家族が増えるんですもの。
 貴秋   そう……でしょうか?
 秋子   あまりにも大きなやらかしだけど、でもちゃんと責任は取ってきてるんでしょ?
 貴秋   はあ……。
 秋子   だったら大丈夫よ。無責任には容赦がないけど、責任を果たしていれば、
      それについてはきちんと評価するくらいの度量はあるから。
 貴秋   ……。
 秋子   あなたが心配しているのは、春花のことでしょ?
 貴秋   ……!
 秋子   それこそあの子は“貴ちゃんの娘”だもの、あの子が一番心配いらずだと思うわよ(ころころと笑う)
      そんなわけで、長男は長男らしく、今度は私たちに責任もって筋を通して頂戴。
      ね。お兄ちゃん
 貴秋   ……(ため息をついて)……分かりました。できるだけ早急に、がんばります。
 秋子   ええ、お願い。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
○同日夜 岩下家・あずまや 秋子と友則の部屋。
布団の上で語る老夫婦。
 秋子   ……ということなの。
 友則   (絶句している)
 秋子   原因はともかく、孫がひとり増えたことは事実ですね。
 友則   ……なんというか……“貴”の字が付く人間は、突拍子もないことをするなぁ、誰も彼もが。
 秋子   ということは、貴ちゃん以外にも?
 友則   ウチの親父の話からすると、そうらしい。もちろん父方のほうだけどね。
 秋子   そうですか。
      とにかく。なにはともあれ、今現在でできうる責任は、貴秋自身果たしているみたいですけど
      今後のことはきっちり考えておかないとですね。
 友則   引き取ると言っているんだろう? それでいいんじゃないかい?
 秋子   ええ……そうなんですが。
 友則   柳原の家のこと? 春花はああ言ってるが、将来は分からんよ?
 秋子   いえ……春花の意志は固いわ。あの子は口に出したことは貫く子ですもの。
 友則   ……ふむ。
 秋子   友秋は、『女房子供は柳原と縁づかせたくないと言ってるし、春花は結婚しないと宣言したし、
      貴秋は……
 友則   ……どうしたね?
 秋子   ……いえ。貴秋も結婚しないと、今回私にはっきりと言いましたしね。
 友則   ふむ。
 秋子   ……非道い話ですけど、チャンスが巡ってきたのかも……と、私は正直思いました。
 友則   チャンス……ねえ。
      それこそ、その子の将来を、大人の都合だけで決めてしまうのは、俺は感心しないね。
 秋子   ……ですよね……。
 友則   それ以前に、そのようにするならば、誰の籍に入れるつもりだい?
      貴秋じゃダメだろう。
 秋子   私の三男として、と考えたけど、そうなると、その子が成人するときには、私は80近くになってますね。
      そこまで生きてられるかしら?(苦笑する)
 友則   あー……そう言えば、子供の名前は何だったっけね?
 秋子   ハルキ、ですよ。(手元の薄い書類を見ながら)晴恵さんの“晴”に貴秋の“貴”
 友則   そうだったそうだった。イカンな、最近もの覚えがな。
      (書類を指さして)……ところでそれ、貴秋から?
 秋子   いえ……すみません。
 友則   ……(肩を竦めて)まぁ、いいさ。
 秋子   どうしましょう? 一度私たちだけで会いに行ったほうが良いのかしら?
 友則   それは……今は控えた方が良いだろうね。
      先方に、変な期待や勘ぐりを、されてしまうかもしれないからね。
 秋子   勘ぐり……ですか。
 友則   貴秋も30を超えたいい大人だ。ここは、俺たち親の出る幕ではないよ。
 秋子   はい。そうですね。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
○前景から数日後。柳原家本宅 家族用食堂
全員そろって、ちゃぶ台の所定の位置についている。
全員の前にお茶。そしてちゃぶ台の真ん中には薯蕷饅頭の小山がひとつ。
夕食後に一家団欒をしているような風情だが、すでに貴秋が必要な話をしたあとで、
めいめいがそれぞれの立場な表情で固まっている。
困惑もするし、なにを考えたらいいやら……という感じでもある。
 友秋   まー……そーだな……(饅頭をひとつ取って薄板を外し、かぱっと口にいれて咀嚼する)
      やっひまっひゃみょんはひょーやないし……
 春花   トモ兄、行儀が悪い。
 友秋   (ごくんと飲み込んで)ま、正直言って、驚いた。
      タカはそのあたりは潔癖だと思ってたから。
 春花   潔癖でしょ? 避妊はしたとか、すぐにDNA鑑定したとか、認知したとか、養育費も出してるとか。
      ズルかったりルーズな人間は、そこまでしないわよ?
 友秋   まーなー。
      なんにせよ、父さんたちは孫が、俺たちは甥っ子が増えたというわけだな。
      (もうひとつ饅頭の薄板を剥いて食べる)
 春花   そうね。それ以上のことではないわね。
      でもタカ兄、引き取ったあとはどうするの? 一緒に住むにしてもあのアパートじゃ狭いでしょ。
 貴秋   良い機会だから、どこか適当な広さのマンションでも買おうかと思ってるよ。
      頭金くらいの蓄えは、なんとか持ってるし。
 友秋   おいおいタカ。お前、それだけしか考えてないワケじゃないだろーな?
 貴秋   ん?
 友秋   広いとこに移るはいいとして、子供はどうするんだ? 保育園とか託児所に預けっぱなしか?
      それはあんまりだぞ。
      再来年は小学生だろ? 学校をどうするか、学校が引けたあとはどうするのかって問題もある。
 貴秋   ……あ。
 友秋   お前ねー、卒がないように見えて、実は肝心なことが抜けてるよな、いつも。
      (むすっとした顔で頭をガリガリと掻いて)……ヨメに相談してからってことになるけどな。
      場合に寄っちゃぁそのハルキとやらを、お前が帰宅するまで、ウチで預からんでもない。
      保育園ならウチのちびと同じところに預ければいいわけだしな。
 秋子   ……問題は、空きがあるかということよね、保育園に。
 友秋   すでに通園している子供がいれば、そこそこ融通してくれるよ。あすこの保育園は。
      うまく説明すれば、大丈夫じゃないかな?
 秋子   そのあたりはトモ君のほうが詳しそうね。
 友秋   だからだなー、できるだけ近くにマンション買えよ。
 春花   え? そういう話なの?
 友秋   我が家のどこに、タカ父子(おやこ)を住まわせるスペースがあるよ?
 春花   ……それもそうね。
      ところでさ、この話に私から提案があるんだけど、いい?
全員が「なんか突拍子もないことを言い出すのか?」という顔をして
春花に注視する。
 春花   ……なによ? とりあえず建設的なことを言うわよ。
 秋子   まぁまぁ春花。とりあえず話して頂戴。
 春花   もー……(憮然とした顔)
      ……じゃ、提案。
なんとなく全員が居住まいを正す。
 春花   タカ兄。ウチに来る気、ない?
 貴秋   ……は?
 秋子   あー、はいはい。なるほどね。
 春花   なによー?
 秋子   あなたの考えてることが、わかったってことよ。
 春花   お母さん、先回りするのやめてって、いつも言ってるでしょ。
 秋子   (続けて、と手で促す)
 春花   ハルキをね、タカ兄の籍に一度入れるの。
      そして、小学校にあがるまでに、私の籍に入れる。
      どうかしら?
 友則   んー……。
 春花   ダメ?
 友則   それ、お母さんともちょっと話し合ったんだが、子供の将来を大人の事情だけで
      決めてしまっていいのかな……とね。
 秋子   そう。あちらのご意向もあるだろうし。
 春花   向こうの意向って言うけど、そもそもこっちに引き取って欲しいって言ってる時点で
      これ以上子供に責任持てませんって言ってるんだから、そこは気にする必要はないんじゃないの?
 貴秋   いや、春花。あちらがハルキを引き取って欲しいと言っているのは、
      今ハルキの面倒をみてくださっているお祖母さまが、ご高齢だからでな。
 春花   あちらの事情はわかるけど、それはそれ、これはこれじゃないの?
 友秋   ……春花の言うとおりだな。
      引き取るとすれば、親権はこちらに移って、ハルキが成人するまでの責任はタカにあるわけだし、
      非道い話をすれば、あっちのお祖母さん……えっと、ハルキからしたらひいお祖母さんだっけ?
      ……がいつまで元気か、ヘタすると数年以内にはいなくなるかもしれないしな。
 春花   トモ兄、ぶっちゃけ過ぎ。
 友秋   しかし本当の話だ。俺たちだって明日死ぬかもしれないけども、
      年功序列でいくなら、あっちのお祖母さんが先に亡くなるだろ。
 秋子   お父さんとこの件で少し話をしたときに、私たちの三男として柳原籍に入れるという案を出したの。
 春花   それだったら、私の籍に入れる方が年齢的にも良くない?
 秋子   春花、ちょっと待ちなさい。あなたは先走りしすぎよ。
 春花   ……はーい(小さくなる)
 秋子   ちょっと前に。ここで春花が結婚しないって宣言したわよね。
 春花   うん。
 秋子   先日ね、タカくんも同じ事を言ったのよ。……ね、タカくん。
 貴秋   はい。
 秋子   トモ君は、妻子を柳原とできるだけ関わらせたくないのよね?
 友秋   あ……ああ、はい。オレらのような経験はさせたくないね。面倒くさいから。
 秋子   となると、岩下はともかく、柳原を継ぐ人がいなくなってしまうのよね。
      ……まぁ私としては、別に血が絶えても別に構わないんだけど。
      会社のほうは、組織を丸ごと変えて純然たる会社経営に切り替えればいいのだしね。
 春花   私で柳原を最後してもいいの?
 秋子   私で最後にしてもいいのよ? あなたはまた岩下に戻ればいいわ。
 春花   うーん……今となってはそれもなんだかなー。
      タカ兄はどうしたいの?
 貴秋   僕は……とりあえず、ハルキを引き取って、親子水入らずで暮らせたらいいかな、と。
 娘&母  現実味がない発言ねえ。
 貴秋   ……(小さくなった)
 友則   まーまー。そんなにタカを責めちゃイカンよ。
      (貴秋に)現実味がないのは、現実的に、お前が想像できていないからだろう?
 貴秋   そう……でしょうか?
 友則   うむ。私が聞く限りじゃ、そう感じるね。
      半分父子家庭のような我が家だったが、その経験から言うと、貴秋はちょっと考えが甘いかなと思う。
      私たちもお互いの仕事に追われて、お前たちに充分に手を掛けてやれなかったからね。
      貴子がいなかったら、お前たちをきちんと育てられたかどうか、わからんよ?
      もっとも、あいつは当てにならんことが多かったがね。
      ……ハルキの件だが、春花の籍に入れて柳原の家で育てるとしたところで、お前たちも忙しい身だ。
      特に春花は今後どんどん忙しくなるだろう。
      そんな状態でハルキの面倒を充分に見ることはできるのかね?
 秋子   私は当時執事だった坂井が養育係も兼ねていたけど……
 友則   しかし東郷君の仕事には、育児は入ってないだろう?
 秋子   ……。
貴秋、友秋、春花は神妙な面持ちで父の話を聞いている。
 友則   誰の籍にいれるかは、おいおい考えていくということにして、
      今は、引き取ってすぐのことを考えてやらないといかんのじゃないかね?
      貴秋以外、誰も知らないところに、いきなり小さな子供が来るんだよ?
      5歳はもう自我がはっきりしてるからね。
 秋子   ……友ちゃん。
 友則   のんびりする時間はないだろうが、急いですべてを決めなくてもいいと、私は思うよ。
      どうかね?
家長の言葉に、それぞれがそれぞれの立場で納得して肯く。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
○柳原家本宅三階 双子の部屋。
柳原家の3階は家族のためのプライベートな空間で、そこには
一番奥の秋子の部屋をはじめ、友則の部屋、夫婦の部屋、春花の部屋、
そして以前はブラザーズが共同で使っていた、少し広い部屋がある。
次男の友秋は結婚してからここに泊まることはほとんどないので、
今は貴秋が泊まる専用の部屋になっている。
のちに、ここは貴秋父子が使うようになる部屋である。
さらに未来になるとハルキには、現在春花が使っている部屋が与えられる。
その頃には、春花は岩下家から持ってきた“あずまや”を庭の一角に移築して
そこに住むようになっている。…が、それはもう少し未来のお話である。
春花が貴秋を部屋に訪ねてくる。
 春花   タカ兄、いい?
 貴秋   どうぞー。
 春花   へへへへ。
 貴秋   ごめんな、びっくりしたろう?
 春花   まぁね。でもタカ兄らしいかな。
 貴秋   そう?
 春花   うん、そう。逃げないでまっすぐなトコが、タカ兄らしい。
      でもさ、どうするの? 実際的に。
 貴秋   父さんの言うことは正しいね。……僕は考えが浅かった。
 春花   ……。
 貴秋   あちらのお祖母さまがお亡くなりになったあと、確かにハルキは身寄りがなくなる。
      だから自分が引き取る、ということしか考えてなかったよ。
 春花   ハルキを引き取る理由はそれだけ? 自分の子供で、将来的に身寄りがなくなる、それだけだから?
 貴秋   ……ん、いや。最初はそうだったんだけどね。
      癇が強くてなかなか慣れない子なんだけど、一度だけぼそりと、僕のことを
      「お父さん」と呼んでくれてね。
 春花   それだけで? タカ兄は情にほだされやすいわよねぇ。クールに見えるんだけど。
 貴秋   ……(うっすらと苦笑している)
 春花   ハルキのこと、愛してる? 義務感じゃなくて。
 貴秋   もちろん。……母さんに似てるんだ。
 春花   あら。
 貴秋   間違いなく、僕の子だよ。
 春花   ……そう……(納得した顔で微笑む)
      じゃ、ここからが本題。さっきの私の提案、真面目に考えて欲しいかなって。
 貴秋   お前の籍に入れて、柳原の跡取りにするのか。
 春花   ええそう。そうすればハルキに形だけなんだけど、両親ができるわ。
      タカ兄が良ければ、タカ兄とハルキはここに住んだらいい。
 貴秋   (え?…という顔で春花を見る)
      ……し、しかし。
 春花   理由はどうにでもなるわよ。タカ兄は間違いなく柳原秋子の息子なんだし。
      岩下姓だけど、ハルキの父親ならここに住む権利はあるわ。それに、私は結婚しないから。
 貴秋   将来を今から決めてかかるのはどうかな。
 春花   ううん。しない。
 貴秋   ……貴子さんのこと、そんなに好きなのか?
 春花   ……ええ。
      自分でも、自分が馬鹿だってわかってる。でもダメなの。
 貴秋   ……そうか。
 春花   うん。
 貴秋   ……(春花の頭をくしゃりと撫でる)
 春花   ……(少し泣きそうな顔を一瞬だけして、すぐ悪戯小僧のようにニコ、と笑い)
      タカ兄とハルキはこの本宅に住むの。
 貴秋   ……お前と一緒にかい?
 春花   (首を横に振る)いいえ。
      私はここじゃないけど、ここの敷地内には住むわよ(うふふふ、と笑う)
      お父さんとお母さんが許してくれたらね。
 貴秋   ……?
 春花   へへへへ。
 貴秋   ……なにか良からぬことを考えているな?。
 春花   ひひひひひ。
 貴秋   その笑いは止めなさい。
      ……まるで、貴子さんのようだ(大きなため息をついて天井を仰ぐ)
 春花   駄目かなぁ?
 貴秋   母さんに相談すべきだろうな。現当主は母さんなのだから。話はそれからだろう。
 春花   そうよねー。
 貴秋   (春花の顔を見て)……その顔は、勝算アリって顔だね。
 春花   まぁね。
 貴秋   母さんは、お前に甘いからな、父さんも。
 春花   そうでもないわよ? こっぴどく叱られること、今まで何度もあったもの。子供の頃から。
 貴秋   (肩をすくめる)それでも僕らよりは、叱られてないがね。
 春花   その代わり、今、この家で叱られまくってるわよ。兄さんが知らないだけで。
 貴秋   ……そうか。
 春花   うん。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
扉からノック音。
 貴秋   どうぞー?
扉が開いて、入ってきたのは秋子。
 秋子   タカ君、いいかしら? ……あら、春花もいたのね。
 春花   うん。
 秋子   お兄ちゃんと密談?(にこやかに笑う)
 春花   まね。そんなトコ。
 秋子   じゃ、ちょうどよかったわ。私も混ぜてくれるかしら?
貴秋と春花、視線を交わして同時に肩をすくめる。
 貴秋   どうぞ?
 秋子   (春花に)いいかしら?
 春花   ええ、どうぞ。
秋子、貴秋が勧める椅子に座る。
 秋子   ……で、なんの密談なの?
 貴秋   わかってるクセに、探るのは止してください。
 春花   お母さんが考えているとおり、ハルキのことよ。
 秋子   そう。……おおかた、春花がタカ君に入れ知恵していたってところかしら?
 春花   (その通りです、と肩をすくめる)
      タカ兄がここでハルキと住むのは悪くない考えだと思うんだけどな。
 秋子   そして、あなたの籍にハルキを入れるわけね。
 春花   ええ、そう。「柳原春花」の息子が「柳原ハルキ」……ゼンゼンおかしくないわ。
      むしろ、あつらえたみたい。
 秋子   そうね。
      ところでタカ君。
 貴秋   はい。
 秋子   訊くのを忘れていたけど、ハルキ…はどういう字を書くのかしら?
独自に調査して知っているくせにわざわざ訊く秋子。このあたりが柳原の当主というところであろうか。
春花は秋子がハルキの字を知っていることに、気がついているかもしれない。
もちろん、貴秋は気づいていない。友秋も同様の人の良さがある。
この差こそが、長男あるいは次男でなく、長女が柳原の当主になった理由のひとつであるが、それはまた未来のお話である。
 貴秋   字……ですか。
 秋子   ええ。
 貴秋   晴恵さんの晴に、貴秋の貴です(宙に字を書いてみせる)
 春花   我が家の長男次男に負けず劣らずわかりやすい命名ね。
 貴秋   ……(春花をちょっと睨め付ける)
 春花   (首をすくめて、ぺろ、と舌を出す)
 秋子   確かに、とても分かりやすいわね。
 貴秋   お母さん(渋い顔)
 秋子   さっき、お父さんと話し合ったんだけど、私たちは晴貴を引き取ることに反対はしないわ。
      責任は取らないと。
 貴秋   はい。
 秋子   そして、柳原の籍に入れることもね。……最初にこの件をお父さんに話したときに、
      すでにその案は出していたし。もっとも春花ではなくて、私の籍にだけど。
 春花   そーなると私は、いきなり20歳も下の弟ができることになるワケよね。
 秋子   そうね。あり得ない話ではないわよ?
      19で結婚して二十歳(はたち)で最初の子供を産んで、40で下の子を産んだら、
      20歳差兄弟姉妹(きょうだい)になるわね。
 春花   でも、お母さんだと、えーと……とにかく無理でしょ?
 秋子   それこそ養子縁組すれば、1歳違いの親子も50歳差の兄弟姉妹も可能よ?
 貴秋   母さん、春花。話が逸れてる(ため息をつく)
 秋子   あら、ごめんなさい。
      とにかく、春花は結婚しないと言い張ってるし、タカ君もこの先結婚する気はないんでしょ?
 貴秋   はい(↓と同時に)
 春花   うん(↑と同時に)
 秋子   トモ君は自分の子供たちは柳原に関わり合いを持たせたくないと言ってるから、
      それは最大限に尊重したいの、私は。
 春花   お母さんがそれで苦労したから?
 秋子   ええ、そう。
      ……まぁ、この先、柳原が絶えてしまっても、私はかまわないと思っているけど、
      あなた達も知ってのとおり、そうは思わない人たちも、それなりに多くて。
 春花   とはいえ、家臣団がこの現代にしっかり存在するものねぇ、柳原(ウチ)は。
 秋子   もし、柳原をこのまま絶えさせるのであれば、春花はまた岩下に戻して、
      その後の始末は私がやるつもりなの。でも、未来に続く道があるなら、
      それに賭けたいって気持ちもあるの。……愚かなことだとは、わかっているのだけどね。
 貴秋   晴貴が、柳原の当主になって、その重責に耐えられるかどうかは、まったくわかりませんよ?
 秋子   あら、そんなこと(ころころ笑う)。あなた達3人もまったく未知数だったわよ?
      今なら確信できてるわ。お兄ちゃんたちなら、どっちが継いでもうまくやっていけるでしょうね。
 貴秋   買いかぶりすぎです。
 春花   ……そこに私がいないワケだ。
 秋子   (春花に)あなたはまだ修行中でしょ?
 春花   ……そーですね(ぶすくれ)
      おかーさんは、ぜったいに褒めてくれないのよねー。
 秋子   この件についてはね(ころころ笑う)
      (貴秋に)もし、タカ君が許してくれるなら、柳原に晴貴をくれないかしら?
      (机に手をついて、頭を下げる)
 貴秋   ……お母さん……。
 秋子   非道いことを言ってるって、充分わかってる。タカ君からはじめて話を聞いたとき、
      驚きが去ったあとに、これはチャンスだと、正直思ったの。
      閉じた未来が、また開けるかもしれない、と。
 春花   ……。
 貴秋   ……。
      頭を上げてください、お母さん。
 春花   ……。
 貴秋   ……実を言うと、正直、わからないんです。晴貴が僕たちに馴れてくれるようになるのかが。
 秋子   (頭を上げる)
 貴秋   実は、なかなか癇が強い子で、僕にもまだ、馴れてるとは言えなくて。
      ……癇が強いという言い方が悪ければ、……そうですね、頑固とでも言うか……。
 春花   まだ5歳なのに?。
 秋子   ……すでに自分を持っているということね。
 貴秋   そうかもしれません。
      二年前に母親が死んだことを認めないし、もちろんいきなり現れた人間が
      自分の父親だということも、なかなか受け入れない。
 春花   そらそーだわ。……というか、それって、単に人見知りしてるだけなんじゃない?
 貴秋   ……まあ、そうとも言うかな。
 春花   ……ちょっと、タカ兄……。
      ホントに子供ひとり引き取るつもりなの? そんな他人事で。
      たぶん、そういう部分を感じちゃって、ハルキがなかなかタカ兄に懐かないのじゃないかなと
      思うんだけどな。
 貴秋   んー……。
 春花   とりあえず、もう少し話を煮詰めて、早々に一度ハルキをこっちに連れて来てみたら?
      話はそれからのような気がしてきた。
 秋子   そうね。私もそう思うわ。
      それに、あなたがそんな調子のままじゃ、晴貴を引き取っても、良い方向には転がらない気がする。
 貴秋   ……お母さん。
 秋子   タカ君。(言い聞かせるように)いきなり自分の子供が現れたのだから、しょうがないとは思うのだけど、
      あなたはまだまだ「親」というものがよく分かっていないみたいね。
 貴秋   ……。
 秋子   「親」はね、子供ができたから親になるのではないのよ。
      子供から「親」にしてもらうの。
      子供のことを、心から愛おしくなって、子供のことを心から守りたいと感じれるようになって、
      そこがスタート地点なの。それでもまだ「親」にはなれてないのよ。
      あなたからはまだ困惑しか伝わってこないわ。
      そんな人に、子供は懐かないわよ、決して。
 貴秋   そう……でしょうか。
 秋子   ええ。…あなた達が、子供の頃一番好きだった大人が誰だったか、
      その人にどんなふうに接してもらってたか、
      それを思い出してごらんなさい。そうすれば、自ずと分かってくるのではない?
 春花   (無言でうなずく)
 貴秋   (同じく無言だが、困惑している)
 秋子   (長女と長男の反応を見て)……春花のほうが、分かってるみたいね。
 春花   (肩をすくめてニコッと笑い)……なんとなく、だけどね。
 秋子   (春花ににっこりとほほえみ、貴秋を見る。その表情は優しい)
      頑張ってちょうだい、お兄ちゃん。
 貴秋   ……努力します。
 秋子   いい子ね。
 貴秋   ……あ……(秋子の「いい子ね」の響きに、何か思い当たった)
 秋子   ん?
 貴秋   (目だけで笑んで)いえ……頑張ります。
 秋子   ええ……(貴秋が何かしらの一端を掴んだことを、なんとなく察した)
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
○数日後 柳原邸。
いつもの家族用食堂のちゃぶ台。
秋子、友則、友秋、春花がいつもの場所に座り、家族団欒をしている様子。
いつも立てられている障子格子の折れ式衝立が、今日は一部が取り除かれて
食堂の入り口側に対して開口している。
 友秋   (両親に)なにゆえ、オレも同席しなきゃいけないんですかね?
 春花   叔父さんだからじゃない?
 友秋   叔父だから、あとでもいいんじゃないかなと。それに、オレん家は向こうであって、
      オレにとってこの家は他人の家のようなものなんだけどね。
 春花   トモ兄。
 友秋   店を継いで、あの家を取ったということは、つまりはそういうことと同義ってことさ。
 春花   ……。
      まったくその通りなんだけど、そう言い切っちゃうのも、冷たい言いぐさよね。
 友秋   ふん。どうとでも言え。
 春花   イーだ! トモ兄のいじわる。
秋子は、次男と長女の会話を聞きながら、内心ため息をついている。
友秋の物事の割り切り方はある意味正しいが、しかし言葉が強すぎるし、
長女の断じ方も狭量さが見え隠れしている。
結局は家族というつながりからくるお互いの甘えがそうさせるのだと知っているので
表だって問題視してはいないが、こうして改めてじゃれるような言い争いを聞けば、
いつか深刻な兄妹げんかに繋がるのではないかと、老婆心ながら危惧するのである。
 友則   (のんびりと)こらこら。お前たち、子供みたいなケンカをするんじゃないよ。
秋子は夫のこういう部分を高く評価している。
のんびりとしかし言うべきは言い、子供たちを叱るタイミングを決して誤らない。
子供たちも、そして孫(友秋の子供)たちも、友則のこういう部分はしっかりと認めて
尊敬し、一目置いている。
彼は間違いなく岩下家の家長である。70の声を聞こうかとしているが、
しばらくその地位が揺らぐことはないだろう。
そこに、ハルキを伴った貴秋が食堂に入ってくる。
 貴秋   ただいま帰りました。
 春花   おかえり、タカ兄。
 秋子   おかえりなさい、タカ君。
 友則   おかえり。
 友秋   おかー(手を上げる)
 貴秋   ただいま。……紹介します。ハルキです。
       (ハルキの目線の高さに降りて)ハルキ、君のお祖父さんとお祖母さん、
      そして叔父さんと叔母さんだよ(順番に指さす)
 春花   いらっしゃい。はじめまして、ハルキ? (ハルキに手を振る)
ハルキは、じり…と後ろに下がる
 春花   あらららら……(指だけひらひらさせる)
 秋子   (ゆっくり立ち上がってハルキに少し近づき、膝をついて子供の目線に降りる)
      こんにちは、ハル君。
 ハルキ  (口の中で、なにやらモゴモゴ言う)
 秋子   はい、こんにちは。お利口さんね(にっこり笑う)
それまで貴秋の服をしっかり握って離さなかった子供が、
パッと弾かれたように父親から離れて祖母に歩み寄ると、ぎゅ、と抱きついた。
当然、父親はそれを数秒、呆然と見たあと、あからさまに狼狽した。
 友秋   おー?
 春花   あらま。
 友則   ……。
秋子、突然のことに驚きつつも、抱きついてきたハルキの背に
そっと手を回して抱き留め、子供の髪に顔を埋めるようにして、彼にささやきかける。
 秋子   はじめまして、ハル君。……いい子ね。
友則はその光景を見ながら、微笑んだ。
 友則   ……ふむ。間違いなくタカの子だね。
貴秋は、どう反応したらいいか分からず、
呆然と自分の父親を見た。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
○さらに後日 柳原邸 家族用食堂。
いつものように衝立の中の簡易六畳間。
ちゃぶ台を囲んで兄妹3人がお茶を飲んでいる。
 春花   ……ま、物事はなるようにしかならないと思うのよね。
 友秋   その考えには賛同するが、お前たちは何事にも行き当たりばったりすぎる。
      オレが心配するのはその点だけだな。
 春花   トモ兄は結婚して落ち着きすぎなのよねー。まーったく、面白味のない。
 友秋   お前たちから見ると、こぢんまりとまとまっちまった小さい人間に見えるだろうが、
      オレは父さんの店を継ぐって決めたときに、オレなりの尺で堅実に生きていこうと思ったわけでな。
 貴秋   それはそれでとても大事なことだと、俺は思うけどね。
 春花   そーね。日常がバクチばかりだと、いつ足下がなくなるか分かったモンじゃないものねぇ
      (自分の仕事を指して、やれやれ…という顔)
 友秋   ……ふん(春花の言葉に肩をすくめ、それからタカの方をおもむろに見て)
      正直、今回のことは、オレは大いに吃驚した。
 春花   私もよ。
 友秋   タカはもちっと利口なヤツかと思っていたが、そうでもなかったな。
      ……ま、オレとしては、そういう兄貴が嫌いじゃないけどね。
 貴秋   ……。
 春花   トモ兄、素直じゃないわよね。
 友秋   ああん?
 春花   タカ兄が好きで好きでたまらないクセに(肩をすくめて鼻をフンと鳴らす)
 友秋   はーるかー。……気持ち悪いこと言うな!
 貴秋   お前たちもたいがい仲良しだよな(ぼそりとつぶやく)
 友・春  ああー!?
 貴秋   ……ホラ、そういうところが、さ。
 友・春  ……(ぐうの音も出ない)
貴秋、口の端だけで笑って、お茶を飲む。
 春花   とまれ、あとはタカ兄がどうしたいかだと思うの。
 友秋   そーだな。
 春花   どちらにするか、早く決めてしまわないと、子供はどんどん大きくなる。
      自我がしっかりしているように見えて、実はそうじゃない。どちらかというと
      脆い子だってことも分かったことだし。
 友秋   だな。
      オレは、母親がいる方が良いと思う。……と言っても、候補が春花じゃなぁ……。
 春花   ……なによー。(ぐーを振り上げる)
 友秋   (春花を無視して)ウチのヨメとも話し合ったんだが、タカが引き取って岩下にするでも、
      春花の籍に入れて柳原にするでも、とにかく、しばらくはウチで面倒見てもいい。
      ただし条件がある。預かるのは保育園から帰ってきてから、お前たちが帰ってくるまでの数時間だけ。
      泊まりは基本ナシ。そし長くても中学校までだ。
 春花   ……ずいぶん太っ腹ね。
 友秋   もちろん食費は負担してもらうぞ。お前たちが戻ってくるまでとなると、間違いなく晩メシは
      ウチで食うことになるからな。
      そして、オレたちがそうだったように、10歳になったら店を手伝うこと。これはウチのちびにも
      させようと思ってることだしな。
      ……そーすりゃ、父さんと母さんも嬉しいだろ。孫が増えて間違いなく喜んでる、あの二人は。
 春花   あー、それは何となく感じてるわ。なんにせよ、家族が増えるってコトは、良いことだと思うのよ、私は。
 貴・友  ……まあね。
 春花   なによー。歯切れが悪い。
 貴秋   ……ん。まぁ……。
 友秋   真っ当な手順で増えたんだったら、もっと良かったなと、タカもオレも言いたいのさ。
 春花   それはタカ兄のせいであって、ハルキのせいじゃないもの。
 友秋   (ひゅー、と口から音を出す)手厳しーぃ(笑う)
 貴秋   いや。まったくその通りだよ。
 春花   ああ、そうそう。お母さんから伝言。そして私からも提案なんだけど。
 友秋   お。なんだ? なんかロクでもないことか?
 春花   トモ兄、人聞きが悪いわ。
 貴秋   それは、僕へってことかな?
 春花   うん。
 貴秋   聞こう(姿勢を正す)
 春花   えっと……ハルキのことなんだけどね。
 貴秋   (うなずく)
 春花   もし、ハルキを私の籍に入れて柳原の人間として育てるなら、字をね。
 貴・友  字?
 友秋   字って、名前の漢字のことか?
 春花   ええ、そう。
      晴貴の晴を、季節の春に変更を。……できたら、ってことで。
 貴秋   ……。柳原の慣例に則るってことだね。
 春花   ええ。
      このことも含めて、タカ兄によくよく考えて、答えを出して欲しい。
春花、手元のメモ用紙(広告の裏が白いものを切って綴じてある)
にポールペンでシャラシャラと書く。
 春花   『柳原春貴』……まとまりすぎてるけど、良い字面と思う。
 友秋   タカが実父で、春花が養母……か。……ま、二人の子供ってことだから、良いんじゃないか?
友秋は貴秋の春花への想いを知っていて、敢えてきわどいことを言った。
 貴秋   ……。
 春花   でしょ?
春花はもちろん知らないので、言葉に邪気がないが……。
 友秋   『賽は振られた』ってとこか。
      (貴秋に)ま、時間はないかもしれないが、じっくり考えろ。
      後悔しないようにな。
 貴秋   ……そうだね。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
○柳原邸 三階廊下奥。 夜中。
貴子の遺作である巨大絵の前。
春花が椅子に座り、画面の一部―それは貴子の姿が塗り込められている場所である―
に寄りかかっている。
春花の手にはタバコ缶。それは貴子が愛飲していた銘柄。
自分が喫煙するためではなく、その香りを嗅ぐために持っている。
それは今や考え事をする時の春花のクセになっている行為。
 声    ……春花……。
声の主は貴秋
 春花   (絵にもたれかからせていた頭を上げて)……タカ兄?
 貴秋   考え事かい?
 春花   ……ううん。そういうわけじゃないの。ちょっと、貴ちゃんの側にいたかっただけ。
 貴秋   貴子さんが亡くなってから、お前はずっとそうしているね。
 春花   ……。
      ……こうしているとね、貴ちゃんの体温を感じるような気がするの。匂いもね……。
 貴秋   貴子さんと言えば、絵の具と木くずの匂いがする人だったな。
 春花   鉄とか紙の匂いもするのよ。髪の毛からはお日さまの匂いがいつもしてた。
 貴秋   僕たちはそこまで近づかせてもらえなかったから、詳しくは憶えてないんだ。
 春花   そうだったの?
 貴秋   保育園に行くようになってから、一線引かれてたような感じでね。
      しかし僕らが昼寝をしてると一緒に寝てくれてて、僕らのほうが先に起きたりね。
      そんな時は、たいがい両脇にしっかり抱えられてたりして。……その時の記憶が
      絵の具とか木くずの匂いなんだよ。
 春花   へぇ……。貴ちゃんらしい(くすくす笑う)
 貴秋   (春花の手にした缶を見て)……そろそろ買い換え時期じゃないか?
 春花   ……うん。香りがほとんど飛んじゃった。
 貴秋   買ってくるよ。
 春花   ……ありがと。……私が自分で買ってきてもいいのよ?
 貴秋   ……まぁ、いいじゃないか。僕の楽しみを取らないでくれよ。
 春花   ……あら? ご執心な方でもいるの?
 貴秋   まぁね。
 春花   おや?
 貴秋   妙齢のご婦人がね。
 春花   お? お?
 貴秋   金色の毛並みでふさふさの尻尾が付いている、齢(よわい)17歳の上品なおばあさまだよ。
 春花   (なーんだ、と肩をすくめる)その方、紹介してよ。私にも。
 貴秋   ……そのうちにね。
 春花   ……(肩をすくめる)          
貴秋、巨大絵を見上げて
 貴秋   ……貴子さんは、どうして僕らを大人の姿で描いたんだろう?
 春花   こういうところが貴ちゃんクオリティだと思うわ。
      お母さんが、ずいぶん昔、言ってたの。
 貴秋   ……。
 春花   『貴ちゃんは、物事の本質を掴んで引きずり出す』ようなところがあるって。
      これ(絵を立てた親指で示しつつ)もその能力のひとつのような気がするわ。
 貴秋   しかし、僕らの子供たちまでは描かなかった……。
 春花   貴ちゃんも万能ではないということよね。想像の埒外は捏造しないってことだと思うの。
      それも貴ちゃんらしいわ。
      この絵、ずーっとこっちがタカ兄でこっちがトモ兄だと思ってたけど、
      今見たら、逆で、それこそ貴ちゃんは兄さんたち二人の容姿が入れ替わるっていうのを
      お見通しだったんじゃないかって、疑うわね(ふふふ、と静かに笑う)
 貴秋   そこまではいくらなんでも……。
 春花   だってこれ、立ち位置が逆じゃない。容姿が変わってないんだったら。
 貴秋   ……あ……。
 春花   ……なににせよ、不思議な人だった。
 貴秋   ……ああ、そうだね。
しばらくの静寂。
春花はタバコ缶の蓋を開け香りをかいでいる。
貴秋はしばらく遠い目でゆるやかに視線をあげていた(何をみているというわけでもない)が、春花の手からタバコ缶を優しく奪い取ると、一本取り出してそれをくわえ、ボトムのポケットをまさぐる。
春花はそれを見て、缶と一緒に手に持っていた小さな巾着(タバコ缶入れ)からッチを取り出して、貴秋に渡す。
 貴秋   ……あ……うん。ありがとう(マッチを受け取ってシュッと火を点ける)
貴秋はタバコに火を点けて一口吸ってみたものの、
顔を盛大にしかめる。
 春花   (貴秋の様子をしばらくみていたが、やがて)……らしくないわよ?
 貴秋   ……そうだね(缶の蓋の裏で、火を消す。昔、誰かがやっていたように)
 春花   ええ……そう。顔は似てても、名前も似てても、あの人じゃないもの。
 貴秋   ……そうだね。
 春花   ……ごめんね、タカ兄。
 貴秋   ん?
 春花   兄妹(きょうだい)とか、そんなんだからじゃないの。
 貴秋   ……ああ……解ってる。
 春花   ごめんね。
 貴秋   ……馬鹿だな(春花の髪をくしゃりと撫でる)
 春花   ……。
春花は貴秋の肩に、自分の頭を預けた。
その表情は見えない。泣いているのかもしれない。
貴秋は、春花の頭の重みを感じながら手にしたタバコ缶に視線を落とすが、
やがて顔を上げ。
 貴秋   オレは……いい親父になれるだろうか。……父さんのような、トモのような。
 春花   (頭を預けたままで)なれるわよ……きっと、なれる(顔を上げる)
 貴秋   自信は……ない。
 春花   ……私もよ。
 貴秋   は?
 春花   ハルキの義母親(ははおや)になるって、お母さんたちにタンカ切っちゃったけど
      自信なんて、まったくないわ。……でも、それで良いんだと思う。だって
      トモ兄も言ってたもん。
 貴秋   うん?
 春花   ……則人(ノリト)生まれる前。
 貴秋   ……ああ……そう言えば(思い出して苦笑する)
 春花   『オレ、親父になるんだって。なぁ、どうしたらいい!?』……あれは傑作だったわ(笑う)
 貴秋   (声は出ていないが、心底おかしいという顔で笑っている。肩が大きく上下している)
      そうだった、そうだった。
 春花   そんなことを言ってた人が、今ではいっぱしの父親顔よ?
      今でもたまーにお父さんに、店のことで大目玉食らってるのにね。
 貴秋   それでも代が変わって、今はあいつが社長だ。もっと時間が経てば、本当に父さん以上の
      頑固な模型屋の親父になるんだろうな。
 春花   ……そうね。
      だから。……ここに。この家に。
      新しい家族を作るのよ。タカ兄とハルキと私で。
      ……まるで、お父さんたちみたいじゃない?
 貴秋   ……あ……。
 春花   お父さんと貴ちゃんがいる家に、お母さんがやってきたの。学生の頃だって聞いた。
      お母さんが、この家に居づらくなって、勝手に出てきちゃって。
      それを嗅ぎつけた貴ちゃんが、あの家に連れてきて、お父さんと出会ったんですって。
 貴秋   ……父さんは、一目惚れだったそうだよ。
 春花   あら。それはそれは。
 貴秋   だから、貴子さんが2号店の上に住まわせたことに、文句が言えなかったんだそうだ。
      大学出たあと、あそこの店長にしたことにもね。
 春花   当初は、貴ちゃんからギャラが出てたらしいわ。
      ……貴ちゃん、あの頃は我が家でいちばんのお金持ちだったって。
 貴秋   作品が売れたのかな?
 春花   ううん…なにかに出品した作品の賞金だか売却料だかが、ものすごかったらしいの。
      外国のコンクールだったから、日本じゃ話題にも上らなかったって。
 貴秋   らしいね。
 春花   うん。らしい。
      ……お父さんとお母さんと貴ちゃん。
      血の繋がりがない人たちが一つ屋根の下に集って家族になったのよ。
      少なくとも私たち3人は血が繋がってるわ。
      繋がってるから難しいこともあると思うけど、それでも……。

      あの家でじゃないけど、また3人から始めるの。ふたりで暮らしているところに
      新しい誰かがやってくる。……ほら、同じことじゃない。
 貴秋   ……うん。そうだね。
 春花   この家にも家族が必要だと思うの。今はまだ閑散として冷たい感じがしてるけど、
      もとは温かい家だったと思うのよ。……じゃないと、坂井のおじいちゃんが
      この家をあんなに慈しんでいたんだから。
 貴秋   うん。
 春花   東郷さんもこの家を慈しんでくれてる。
      それはね、たぶん、またいつかこの家に家族が集えるようにって、思ってくれてるからだと
      私は思う。
 貴秋   うん。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
 春花   ……私は、ハルキに対して、お母さんみたいにはできない。
      たぶん、貴ちゃんが私たちにしてくれたようにしか、接することができないと思う。
 貴秋   それで十分だ。母さんもまだまだ元気だし。
      ……僕らは母親が二人いた。ハルキはもしかしたら、母親が三人ということになるかもしれないね。
 春花   義姉さん?
 貴秋   (やや苦笑しながら頷く)
 春花   ……なるほど。だったら、東郷の小母さんや佐和子先生もまで加わる可能性が高いから、
      ものすごいことになるわねぇ。
 貴秋   (なるほどと思い、直後に目がやや泳ぐ)これは、すごい環境だな。
      僕が心配することもなさそうだ。
 春花   あらタカ兄。父親はタカ兄しかいないんだから、しっかりしてちょうだいね。
 貴秋   ……む。
 春花   相変わらず、プライベートとなると詰めが甘いわねぇ。
 貴秋   ……気をつけるよ。
 春花   (笑って)ええ。
      ……兄さん。
 貴秋   ……ん?
 春花   この家をよろしく。人がいない家はすぐ荒れちゃうもの。
 貴秋   (訝しんで)……このあいだも似たようなことを言ってたよな、お前。
 春花   (にっこりと悪びれず)ええ。私は近々庭に別棟を建てて、そこに住むつもりなの。
 貴秋   ……は?
 春花   “あずまや”ね。老朽化がひどいから、私が費用を出して建て直させてもらおうと思ってるのよ。
 貴秋   ……な……
 春花   もちろん新築でね。そうなると、取り壊した部材がたくさん余るわよねえ……。
 貴秋   ……お前……。
 春花   んー?
 貴秋   相変わらず狡賢いヤツだな。
 春花   なんのこと?
 貴秋   (大きなため息をつく)
 春花   お母さんにこの話をしたら、「お父さんが『いい』って言ったら、良いわよ」……だって。
 貴秋   じゃぁ、ほとんど決まりじゃないか。
 春花   さぁ、どうかしら? お父さんが“あずまや”を手放したがらないかもよ?
 貴秋   それこそどうかな? 父さんは母さんと貴子さんの関係に、すごく嫉妬しているからなぁ。
      トモに身代譲って“あずまや”に移るときに、少しゴネてたぞ。
 春花   じゃ、よけいに“あずまや”を建て直さないと(ふふふ、と笑う)
 貴秋   ……柳原……。
 春花   ん?
 貴秋   いや。お前は本当に柳原の人間なんだな……と思っただけだよ。
      オレたちには真似ができないことを、いとも簡単にやってのける。
      僕らのどちらかが柳原を継いでいたら、きっと僕ら自身、つぶれていたろう。
      それを最近、よく痛感する。
 春花   ……失礼ね。
 貴秋   褒め言葉さ。
 春花   ……結局、誰とも名前が被っていないの、私だけなのよねぇ……。
 貴秋   母さんが柳原じゃないか。
 春花   あの人も、ほどなく『岩下』になるわよ。三度目の結婚……三度目の正直とか言ってね。
 貴秋   (苦笑する)……ハルキを引き取るとき、できたら改字するんだろう?
 春花   できれば……ね。あちらのお祖母さまごいいって言ったら……って考えてる。
      ……できなかったら通り名でもつける?
 貴秋   (声は出さずに笑う)
 春花   ……そうね……通り名……って手もあるのか。どのみち読みは一緒なんだけど。
 貴秋   なんだ。ちゃんと根拠あって言ったんじゃないのか。
 春花   うん。……いつもの思いつき。
 貴秋   ふむ。そういうのは、できたら家の中だけにしてくれよな。……ああ、そういえば。
 春花   なに?
 貴秋   通り名のほうが、それこそ本名よりも通りが良くなれば、改名することも可能だと、
       聞いたことがあるな。
 春花   ……へぇ。
 貴秋   このあたり、ちょっと法務部か柳原の顧問弁護士あたりに相談してみるか。
      素人の僕らがどうのこうの言ってても始まらん。
 春花   そうね。
      ……。
      でも、きっと。
      字なんてどうでも良いのよ。もしかしたら、名前がだってこの場合は重要じゃないのかも。
 貴秋   ……。
 春花   この家に、人が集って家族になること。
      ……私たちはお父さんお母さんやトモ兄が築いてきたような家族にはなれないかもしれない。
      いいえ……きっと無理でしょうね。
 貴秋   春花……。
 春花   ……でも、きっとそのタネをこの家に残すことは、きっとできるわ。
      お父さん達は、血のつながりで言うならまったくの他人同士だった。
      その3人が、なんとか家族が営まれていたあの家に集って、新しい家族になった。
      そして私たちが生まれ次の家族をまた作ってる。
 貴秋   ……。
 春花   血が繋がってる私たちは、この家族のいない家で今から集おうとしてる。
      この家にふたたび灯をともすために。
      灯がともれば、この家にも、また家族ができて未来につながっていくと思う。
 貴秋   ……夢物語のようだね。
 春花   ……夢は、かなえるために持つものなのよ(不敵な笑みを浮かべる)
 貴秋   ハルキがこの家を継がないと言ったら?
 春花   そのときはそのときね。私の代で朽ちればいいのよ。
 貴秋   なるほど。
      ……やはり、お前は柳原の人間だ(頭をくしゃりと撫でる)
      そして……
      岩下の……貴子さんの娘だ。
 春花   ……む!
 貴秋   ……生きているんだな。
       お前の中に、貴子さんが。
 春花   ……うん。
       生きてる。たぶん、私が死ぬまで、生きてる。
 貴秋   オレの方こそ、よろしく頼む。
      ハルキとオレと。
      この家にやっかいになるよ。
 春花   私の方こそ。
 貴秋   この家に、家族のタネを植えよう。
      貴子さんが冬の初めに、春の野菜を植えていたように。
 春花   ……うん。
      ……うん。
 貴秋   ……母さんに、あらためて挨拶しなきゃな。
 春花   お父さんや、トモ兄にもね。
 貴秋   ああ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
○エピローグ 岩下家本宅・庭。元・貴子の畑。
貴子が作っていた畑は、岩下家の人々のうち子供たちが中心になって、家庭菜園を続けている。
規模は小さくはなっているが、季節のちょっとした野菜やジャガイモが作られ、今も食卓のメニューに貢献している。
現在は友秋夫婦が中心となってこの畑を作っているが、時折貴秋と春花が手伝いに来る。
将来的に、ここはまた子供たちの遊び場にもなるだろう。
かつてそうであったように。
 友秋   (鍬にもたれかかりながら)……結局、オレのいないところで話はまとまったわけだ。
      オレがお前らに使った時間は、一切が無駄だったってことかな?
 春花   どーしてトモ兄は最近そんなにひがみっぽいの? 
      ちゃんとこうして、報告に来てるでしょ!
 友秋   そらぁ、ハルキをこの家に預けるから、最低限の礼儀は尽くさないとねぇ?
 春花   もうっ!
 貴秋   (掘り起こしたジャガイモを拾い上げながら)だが、お前が善美(ヨシミ)さんに相談してくれて、
      善美さんからいろいろ提案してもらったおかげで、今後の展望がひらけたわけだしね。
      お前たちには感謝してるよ。
 友秋   ……ふん。
      おい、タカ。このツケはしっかり返してもらうからな。
      今まで少し足が遠のいてた分、きっちり通えよ? そしてたまにはメシも食っていけ。
 貴秋   ……わかった。そうする(苦笑しながら)
 春花   え? なに? それ、タカ兄だけ? 私は?
      義姉さんのゴハン、超美味しいのに!!
 友秋   お前には専業のシェフがいる家があるだろうが。シェフにちゃんと仕事をさせてやれ。
      こないだ嘆いてたぞ。好沢(ヨシザワ)のヤツ。
      『週の半分は開店休業状態なんです。先輩、こんなんでいいんでしょうか?』ってな。
 春花   しょうがないじゃないの。接待とかあるんだもん。
      ……あ、でも、好沢さんの作ってくれる、お茶漬け。すごく美味しいから好きよ。
 友秋   ……春花。ヤツは。専門が。フレンチ。なの。
 春花   毎日毎日、フレンチはやだなぁ。飽きちゃう。
      ……そうだ、ヨッシーに和食の修行もしてもらおうかしら?
      フレンチと和のコラボなんて、いいと思うわ。ウチにも目玉ができるし。
 友秋   ヨッシー言うな。学生の頃それさんざんからかわれて、本人気にしてるから。
 春花   ……なんで?
 友秋   ゲームのキャラだからだよ。緑色の怪獣みたいなヤツ。
 春花   ……ああ、なるほど。
 友秋   それよりも、お前んちは料理屋やレストランじゃないだろ。
 春花   そうだけど。……来賓クラスの人が来たときに、料理に目玉があるほうが、
      喜んでもらえるし、記憶にも残るでしょ?
      ビジネスの基本よ。基本。
 友秋   オレんちもビジネスをしてるがなぁ、お前んトコとは質が違うんだよ。
      国賓レベルの客が来たり、パーティーとかしないだろ。
 貴秋   夏にバーベキューはするけどね、一部の常連さんを呼んで。
 友秋   タカ~~~~~。混ぜっ返すな。
 貴秋   なんにせよ、話がそれなりに円満に進みつつあるのは、間違いなくトモ、
      お前のおかげなんだよ。
 友秋   あ"?
 貴秋   あちらのお祖母さまが心配されてたのが、僕の仕事のことでね。
      晴恵さんが働いていたときのことを考えれば、僕の仕事はそれ以上に忙しくて
      時間が取れないだろうから、引き取られても、保育園や託児所に
      預けっぱなしになるんじゃないだろうかって。
 友秋   ……そこに、妻子持ちの弟が登場して、面倒見てくれる……か。都合のいい話だ。
 春花   もー。トモ兄ー。なんでそんなにひねくれた物言いしかできないのよ。
 友秋   いつもいい顔ばかりはできないし、オレはオレで、タカに言いたいことが山のように、ある。
 貴秋   わかってる(微笑む)
 友秋   ……ふん。
友秋が鍬を片付けようと道具入れのほうに2歩ほど進んで、いきなり振り返ると、貴秋の顔正面に向けて、鋭くパンチを放つ。
……が、貴秋の鼻先をかすめただけで当たりはぜず、友秋は勢い余って前方に
たたらをふんだ。
春花は友秋の一連の動きに驚いて、身をすくめる。
 友秋   これで勘弁してやるよ。
      ……ハルキ、みんなに馴れるといいな。
      この家で育つからには、ハルキも岩下の子供だ。あの家じゃとてもいい環境とは言えんからな。
      この家で、いろんなものを見て触れて、もちろん同年代ともたくさん付きあって、
      世の中のこととか、人と触れあうこととか、商売のこととか。
      そんなことを吸収しながら、大きくなっていって欲しい。則人(ノリト)や愛乃(ヨシノ)と
      一緒にな。……オレたち兄妹(きょうだい)が、そうやって、
      貴子叔母さんに育ててもらったようにな。
 貴秋   ……だね。
 春花   (ホッと緊張を解いて)……仲のおよろしいことで。
 友秋   無駄にケンカしてると、こっぴどく叱られるからな。
 貴秋   そうそう。怒った貴子叔母ちゃんは、誰よりもこわい。
声を上げて笑う双子。
その声はどうやら母屋の方にもよく通ったようで。
友秋の妻と二人の子供、そして母屋に来ていた友則と秋子も何事かと様子を見に来る。
今期のジャガイモは豊作。大きく量も多い。
このあとは畑を子供たちに開放して、好き放題に掘らせ、そのあと残った芋はすき込んで耕し、 次の作物の肥料にするのだが、来週はハルキがこの家に来る予定になっているので、 それまでその作業は止まるかもしれない。
来週この庭で出会う子供たちは、泥遊びができるかも、しれない。

 もともと、書く予定もつもりもなかった一編ですが、真っ正面から、岩下家の人々が持つ家族観を書いてみたいという衝動に駆られ、ずいぶん長くかかりましたが、なんとか一段落しました。
 岩下家の長男次男は双子なんですが、容姿があまり似てないような描写になってます。しかしこれは、家族やごくごく近しい人たちから見た主観であって、実はとてもとてもよく似ております。
 ちなみに二人ともスポーツマン。貴秋が陸上、友秋が野球を、中学~大学までやってました、小学生の時はサッカーと野球の両方を。
 性格にかなりの差があるのは、本人たちの気質と貴子の教育のたまものでして、このあたりのエピソードも、いつか書きたいですね。

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