あの桜並木の下で 小品集 時間外

しがらみ

 伸びきった藤は、しがらみだ……と思った。
 伸びすぎた前髪も。
 どちらも切るタイミングを逸して、無残な姿をさらしている。
 ありとあらゆるところに押し込められた、使わないものたちも。
 今後使う場面があるとは思えない。でも捨てられない。
 それを しがらみ という以外の、何と言えばいいのだろうか。
 人は生きる時間が長くなればなるほど、 しがらみ が多くなっていくように思える。
 いつかどこかでそれらを捨てねばならぬと分かっていても、タイミングを逸して――時にそれは作為的におこなわれる――伸びて絡まったり積み上がったりする。
 その量が過ぎれば、一人ではもう、どうすることもできない。
 8年前に祖母が亡くなり、2年前に義妹貴子も亡くなった。
 私は今、祖母から相続した家の裏にこっそりと生息していたらしい藤の前に立っている。
 藤は今、祖母宅の裏手に立っていた楠を、絞め殺さんばかりにその巨木全体に巻き付いて、私を圧倒している。
 私はひとり、この藤に対峙する。
 藤を払わねば、いずれ楠は倒れるだろう。すでに藤の重みに耐えきれない部分が、こちらに向かって傾いでいる。
 藤を払うには、楠にかなりの犠牲を強いるだろう。楠はそもそもが強い木ではあるし、“彼”は巨木である。しかし、締めつけられた幹や枝に藤が無残にもあちこち食い込んでいる。
 食い込まれた枝を切り払わねば、藤が枯死して落ちたあと、細くなったその部分が自らの重みを支えられなくて、折れてしまう可能性がある。折れれば、祖母が愛し貴子が愛したこの家の上に落ちないとも限らない。落ちれば家は、きっと無事ではすまないだろう。
 家を守るには、藤を払い楠を小さくするしかないのだ。
 楠も大きくなりすぎた。そして家に近すぎる。
 楠の大きさから樹齢を考えれば、この家をここに建てた時には“彼”はすでにここに立っていたのだろう。人があとからやってきたのだろう。だのに、誰も住んでいないこの家を守るために、先住だろう“彼”を切り刻むというのは、とてもおこがましい行為に思える。
 しかし、私はやらねばならない。
 この家を守るために。
 そう決意して、私はふと我に返る。
 ……そうだ。この家こそが しがらみ なのだ。
 私にとっての。かけがえのない時間があったところ。
 かけがえのない人たちが愛したところ。
 しかし、なくても今の私には差し支えのないところ。
 この家を“守る”という行為は、たぶんほとんど意味のない行為。
 強いて意味を見いだすならば、私のかけがえのない日々の思い出を、そのまま色褪せさせないでおきたいという欲求。
 祖父がいて、祖母がいて、母がいて、小学生の私がいる。
 祖母がいて、貴子がいる。
 貴子がふらりとやってきてはひとり居着いている。そこへ私が迎えに来る。
 私にとっては何ものにも代えがたい美しい思い出だが、物理的にその思い出のイレモノを残しておく必要はあるのだろうか。
 それは私の心の中に褪せずにしっかりと焼き付いている。それで良いのではないか?
 家は祖母が生きていたときそのままに、中の物を動かしていない。祖母が亡くなったあと、私たちは各々(おのおの)でまた家族で、この家をおとずれて、長いときにはひと月以上も滞在(それは主に貴子だったのだが)しているが、居間や縁側でくつろぐ以外は主に寝室代わりにしている客間で過ごし、台所や洗面、風呂トイレを除いて祖母たちが使っていた物品はほとんど動かしていない。
 祖母が亡くなった当時は小さかった子供たち――とは言っても長男と次男は中学生だったので、ここでの主な対象は小学一年生だった長女の春花である――も、この家のことについてはとても聞きわけが良く、壊したり壊れたモノはひとつとしてなかった。
 子供たちが聞きわけが良かったのは、子供たちの実質的な母親役をしていた貴子が、この家に必要以上の手を加えることをたいそう嫌ったからである。貴子は子供に対しても容赦がない。貴子の中に「子供だから」の思考は存在せず、彼女は実に31歳および38歳年下の甥や姪に対しても対等にそして敬意を払って接していた。
 子供たちはそんな貴子を見て育ち、他者への敬意を培って大きくなった。だから、母でありまた師父とも言える貴子がことさらに大事にしたこの家を、貴子のように敬い愛してくれている。
 つまりは、私にとって、この家を守りこそすれ傷つける理由も権利もないのだ。思い切って取り壊すにしても、なんらかの理由をまずは子供たちに通さねばならないだろう。もっとも、長女の春花ですらすでに中学三年になり、来年は合格すれば高校生である。むろん彼女は早生まれでさらに三月の下旬生まれなのでまだ十四歳で、本来ならば中二と言っても過言ではないのであるが。
 私はひとり裏畑の真ん中に立ってため息をつく。藤に絡め取られた楠を、伸びきった前髪の向こうに眺めながら。
 ……何かを。
 ……何かを。
 何かを切り捨てねばならない。
 それはなにか。
 それは何なのか。
 簡単なようで簡単ではない。
 しがらみは、自分をがんじがらめするので始末が悪い。
 決着を付けなければならないのは自分の心の中で、藤や楠やその他残してある祖母の所有物ではないのだ。
 この家をどうするのか。残すのか取り壊すのか。
 貴子が存命中は、貴子の隠れ家としてまた家族の避暑地としてそのままにしておいた。しかし、貴子が亡くなってからは、年に一度、私が風を通しに来るだけで、避暑地としての役割も滞ったままである。管理自体は隣家にお願いしてあるので、私が来る必要も、実はない。それでも、一年に一回は来なければ、本当にこの家は思いでだけが滞留するイレモノになってしまうだろう。
「……とりあえず、払うだけはしないとね……」
 私は独りごちた。そうでもしなければ、このまま私自身もこの場に縫い止められそうな気がしたから。そして、納屋にとって返して、鉈を出す。
 祖父が山で使い、祖父亡きあとは祖母が焚き物用の木片を作っていた鉈だ。私や貴子が薪割りに使っていたこともある。
 手のひらにしっとりと馴染んで吸い付く柄の感触が、気のせいか温かい。
 見れば、二年以上も放置していたそれは、刃にうっすらと錆が浮いていたが、使い始めればすぐに落ちて、またなまめかしい光を放つのだろう。切れ味だけはやや落ちているだろうから、作業後は丁寧に研いでやる必要がある。
 首にかけてあったヘアバンドで前髪を上げて止め、鉈をぐっと握り、私はまた家の裏に戻っていく。
 まずは体を動かさねば。思案はいつでもできる。
 子供たちに今後を相談するならば、先に楠が折れないよう藤をある程度払っておく必要がある。それでいいのだ。ますは動け。
 楠の前で一呼吸分立ち止まり、それから毅然と顔を上げて楠に向かって歩き出す。
 まずは立ち向かうこと。
 そこから、始まるのだと。
 そこから、断ち切るのだと。

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