へっぽこ・ぽこぽこ書架

二次創作・駄っ作置き場。 ―妄想と暴走のおもむくままに―

『少女革命ウテナ』二次創作SS

Le Paradoxe Ⅲ

Le Paradoxe Ⅲ 本文

 ちまたではジングルベルの音がクライマックスに達しているというのに、ウテナはチュチュを肩に乗せ、学園の中をひとり歩いていた。昨日でいちおう今年の学園行事は終わっている。今学園に内に残っているのは、成績不良のため補習を受けている『補習組』と、家庭の事情で居残っている『残留組』の生徒、一部の教員、そして学園を管理するわずかな職員だけである。もちろんウテナは『補習組』ではなくて『残留組』だ。
 学園はこの『残留組』の生徒のために、ほぼ一年中、図書館・視聴覚室・体育館・カフェテラス等の施設を開放している。『残留組』の生徒は、寮で時間を過ごす以外に、今日のウテナのように学園内をうろつく者もいる。『補習組』の邪魔さえしなければ、彼らと一緒に授業を受けることも可能だ。
 いつもの学ランに身を包み、ウテナはあてもなく学園内をさまよっている。まだ冬休みの第一日目だというのに、もう退屈してしまった。もともとウテナは図書館や視聴覚室で大人しく時間を過ごすタイプではなく、元気に体を動かすことに生き甲斐を見いだしているタイプだ。それも、独りで黙々とやるスポーツよりも、大勢でこけつまろびつしながらの方が好きで、バスケットのような団体戦こそがウテナの本領発揮の場だ。だから、どうも独りではパッとしない。それでも午前中は体育館でバスケットボールと戯れていたのだが、二時間も遊びを続けると、さすがに退屈しきってやめてしまった。

 ――ヘンだな。
 ひたすらに学園内を歩きながらウテナは思った。
 ――夏休みだってひとりのはずだったのに、こんなに退屈した感覚はなかったよなぁ。
 今朝、若葉が自宅へ帰るために寮を出ていってしまって以来、自分の体にまとわりついてくる喪失感は、ただ単に広い女子寮に独りとりのこされたためかと思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。相変わらずチュチュは肩にはりついて何かと道化てみせてくれるのだが、やはり何かひとつ、自分に不足している感じがする。
 ――ボクのそばに誰かいた…ような。…若葉じゃなくって…。……誰だっけ?
 「チューッチュッ!チュッ!チュ――!!」
 急にチュチュが声を張り上げ、ウテナの肩から飛び降りた。
 「チュチュ!?」
 チュチュはウテナの方を振り向きもせず、まっすぐに廊下を走っていく。
 「チュチュ!!どこへ行くんだ!? チュチュ!!」
 ウテナもチュチュのあとを追う。
 階段の下り、右へ曲がり、渡り廊下をつきぬけ、また右へ曲がり、外へ飛び出し、東の中庭を駆け抜け、校舎に入り、左に曲がって、廊下を突っ切って右に曲がり……。
 ウテナはとうとうチュチュを見失ってしまった。
 「チューチュ――。どこにいるんだーい?」
 ウテナは力なくほてほてと歩いていく。道は一本しかない。たぶんチュチュはこの先にいるはずだ。
 「も―――。どこいっちゃったんだよぉ…」
 廊下の先に外光が見える。ウテナはその光の中へ吸い込まれるようにして入っていった。



 光に中に入ったとたん、ウテナはその明るさに目を開けていられなかった。やがてゆっくりと目をあけると、そこは小さな中庭を囲む回廊になっていた。
「ここは……?」
 校舎に四方をぐるりと囲まれたその中庭は、ウテナが今までに見たこの学園で唯一の閉鎖的空間だった。他所の中庭の半分以下の広さしかないこともその一因になっているようだが、何よりも決定的ななのは、周りの校舎が、この学園のどこよりも高い建造物で構成され、そのせいでこの空間を押し包むような雰囲気をかもしだしているからだった。しかし四方の校舎が、この空間にせり出して建っているように見えるにも関わらず、それがまったくの錯覚であることは、建物の高さに反して陽光が、十二分にふりそそいでいることから誰にでも理解できるだろう。
 冬の午後とは思えないくらい豊かな陽光のふりそそぐ中に、他の中庭では絶対見られないものが存在していた。
 バラの温室である。
 丸いカナリヤかごのような形をしたその温室はさほど大きくなく、中庭の中央よりもやや東よりに配置されていた。誰が手入れをしているのか、中では色とりどりのバラが大輪の花をあふれさせんばかりに咲き誇っている。それ以外にはまったく生命感がなく、この静かな空間をよりいっそう静寂なものにしていた。
 ウテナはこの見覚えのないであろうこの中庭に、多少の気後れを感じながらも勇気をふるって踏み込むとチュチュを呼んだ。声は校舎にはねかえって共鳴することもなく、空中へと吸い込まれていく。
 「チュチュ…どこいっちゃったんだよ…。」
 ウテナはそうひとりごちた。
 ナーバスな気持ちのまま、ウテナは温室の方に視線を転じる。その中に見覚えのある細いラベンダー色のしっぽが、バラの葉影で揺れているのが瞳に飛び込んできた、
 「チュチュ!!」
 ウテナは弾かれるようにして駆け出すと、次の瞬間にはもう温室の中に飛び込んでいた。
 「チュチュ!!」
 チュチュは温室の中央に奥ゆかしく置かれた小さなテーブルの上で、上品なカーブを描いた金色の水差しとたわむれていた。ウテナは静かに近づき、チュチュを優しく捕まえると手のひらにのせた。
 「捕まえたぞ、チュチュ。このいたずらっ子め。」
 口で言うほど怒ってはいない。ウテナは優しく微笑みながら、チュチュの頭をなでた。
 「…ここで何してたんだい?」
 そう言いながら、チュチュがたわむれていた水差しに視線を転じる。それはまぎれもなくウテナにも見覚えがあるものだった。
 ――あれ?……これ……。
 チュチュを肩に乗せ、テーブルの上の水差しを手に取る。水差しは金属製の手触りと一緒に、ひんやりとした冷たさも伝えてきた。ウテナは水差しの細長い首をそっと白い指先でなぞる。
 ――これ、誰かが使っていたよなぁ…誰だっけ?
 ウテナの頭の中で何かが動いた。
 テーブルに水差しを戻し、ウテナは数歩うしろに下がる。その位置で水差しを眺めた。
 また頭の中で何かが動いた。
 そこからさらに数歩右に移動し、また水差しを見た。ウテナの場所からは、水差しはバラの茂みのあいだからわずかに見え隠れしているだけの存在になってしまっている。しかしウテナの頭の中で動く何かは、今度ははっきりとした像を結び始めた。
 ――あ…あの女の…子は……え…っと…――

 「そこで何をしている!!」
 ウテナの頭の中で、誰かの像が鮮明に浮かび上がろうとしたその瞬間、大きな音を立てて温室の扉が開いた。
 水差しに集中していたウテナは不意をつかれ、文字通り飛び上がって声の方を向く。チュチュもビックリして飛び上がると、その勢いに乗じてウテナの髪の中に隠れてしまった。ウテナの視線の先には、生徒会の制服を着た女性が立っていた。
 生徒会メンバーで女性といえばひとりしかいない。温室に入ってきたのは、確認するまでもなく有栖川樹璃だった。
 「ここで何をしている?」
 樹璃はウテナに近づきながら再度訊いてきた。その口調はまぎれもなく詰問調である。ウテナは思わず頭を下げる。
 「す…すみませんこの子がここに入り込んじゃったもんで…。」
 樹璃に圧倒されつつも素直にあやまった。しかし樹璃は追及の手をゆるめない。
 「ここは生徒会専用の温室だ。…『立入禁止』の札が見えなかったのか?」
 「え……ここ、入っちゃいけなかったんですか? ボク、なんにも知らなくて……。」
 樹璃の刺すような視線に射すくめられて、ウテナはヘビに睨まれたカエル状態になってしまった。心臓が凍る。もともとウソは言わないが、目の前の女性には小指の先ほどのウソも通用しないだろう。
 樹璃の氷のような視線が、自分の頭のてっぺんからつま先までを舐めるように往復している。ウテナはそれにじっと耐えなければならなかった。
 「君は――中等部二年の、天上ウテナ、だな?」
 「…ボクのこと、知ってるんですか?」
 ウテナは驚きを素直に出し、顔を上げた。それに対して樹璃はあきれたようにウテナを見ると、こう返してきた。
 「君はなにかと目立つからな」
 ウテナが何か腑に落ちない返事をしたが、樹璃はそんなウテナを意に介さないといった風情で言葉を続けた。
 「我々生徒会メンバーと同じくらい有名人なんじゃないか?」
 生徒会メンバー(自分たち)は有名で当然といった樹璃の口調に、ウテナはややむっとし、思わず反論する。
 「ボク、そんなに有名じゃないですよ? 先輩。」
 口をとがらせてウテナは言う。
 樹璃は「おや?」という表情をし、ついで小さくぷっと吹きだした。あまりにも素直なウテナの反応が意外だったらしい。ゆっくりと腕を組むと、右の人差し指を、物でも数えるように上下に動かしながら、一つ一つウテナの「目立つところ」を挙げていく。
 「まず、その制服(男装)、…そして口調…行動。…最後に君がいつも肩に乗せているそのサル。
……これだけ目立つ条件がそろっているのに、それでも君は『有名じゃない』と言い切るのかい?」
 ここにきてウテナは、樹璃の口調がすでに詰問調ではなくなっていることに気がついた。なにか面白がっているような、かすかな笑いをこらえているような…そんな雰囲気にさえなっている。樹璃のあまりの豹変ぶりに、ウテナはへどもどしながら答えた。
 「せ、制服はちゃんと指定店で…作ってもらいましたし……、口調とか行動とかって…もともとこうだしなぁ……。チュチュは…迷惑している人がいるかもしれないけど……。」
 言い訳しているうちにウテナはうつむいていたらしい。樹璃の「ふん」と鼻で笑う声に、はっとして顔を上げた。
 すでに樹璃はウテナの前に立ってはいなかった。攻撃のオーラは消え、肩越しにウテナを見つめる瞳には微笑さえ浮かんでいる。
 「新学期には制服を戻しておくんだな。そうすれば今日のことは不問にする。」
 樹璃はそう言うと、ウテナに背を向け温室のドアに手をかけた。ウテナはあわてて樹璃を呼び止める。
 「センパイ、待って下さい。」
 樹璃はぴたりと動きを止め、視線だけ動かして再度ウテナを肩越しに見た。
 「センパイはどうして――」
 ウテナは続きを言おうとして一瞬息をのんだ、樹璃の眼差しが氷のように冷たかったからだ。しかしウテナはそれに負けてなるものかと一気に言い放った。
 「どうして、そんなに制服のことを問題にするんですか?」
 その問いに樹璃は何も答えない。
 樹璃は相変わらず冷たい視線をウテナに浴びせている。ウテナは反対に熱いまっすぐな眼差しで樹璃を見つめた。
 しかし樹璃と対峙して数瞬後、ウテナは自分の無鉄砲さに後悔しはじめた。
 ――目をそらせば、負ける…。
 焦りは体力の消耗という形で現れ始めた。息が、上がる。
 ウテナのやや荒い息づかいだけが二人の間に流れていた。その音がやけに耳に付くような気がする。
 やがて、ウテナは樹璃がその秀麗な口元をほころばせるのを見た。
 「私は風紀委員長も兼任しているんでね。」
 磨き上げられた中空の玉(ぎょく)を指先で弾いたような、凛とした声を残して、樹璃は音もなく温室を出ていく。
 緊張の限界に来ていたウテナは脱力し、返す言葉を失ったまま、しばし彼女がさりげなく漂わせてた残り香の中で呆然と立ちつくしていた。


(未完)
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