へっぽこ・ぽこぽこ書架

二次創作・駄っ作置き場。 ―妄想と暴走のおもむくままに―

『マリアさまがみてる』二次創作SS

ポインセチア

ポインセチア 本文

 蓉子はポインセチアの鉢植えを買った。
――そんなワケではないけれどね。
 そう思いつつも、やはり12月だしクリスマスも近いから、街にあふれるショップのウインドウや通りそのものがにぎやかしく飾り立てられていて、その浮かれ気分に当てられたのかもしれない。
――あまり大きなのを買うつもりはなかったのだけど。
 花屋の軒先に並べられたセール品に足を止めたくせに、店の奥に置いてあるちょっと見栄えのいいのが目に入ったとたん、自分が買うべきものはそれしかないような錯覚にとらわれて、結局、高さ40センチメートルくらいの大きな鉢を買ってしまった。
「重いですから、お気を付けて」
 と店員が、かわいいビニールの手提げ袋を二重にして持たせてくれた。でも重いと言われただけあって、手袋をしているにも関わらず、ビニールの取っ手を持った指がすぐに痛くなる。蓉子は信号待ちで足を止めた時に、鉢を胸の前で抱きかかえることにした。
 鉢を抱いて気がついた。
――これ、陶器の鉢なんだわ。
 ビニール越し、手袋越しでもはっきりと分かる、プラスチックにはない堅さ。じわり、と伝わってくる、陶器特有の冷たさ。
 しかしそれでも、花を抱えて歩くというのは、なんとなく楽しい。蓉子はポインセチアの“花”に鼻を埋め、顔を隠すようにして、くふふ……と笑った。
 今日は金曜日。明日明後日はお休み。めずらしく二日連続で確保できた休日。今年はイブもクリスマスも平日だから、休めないしゆっくりもできない。そんなわけで、直前の土日くらいはしっかり休みましょう。今は急ぎの案件もないことだし。と事務所の所長が今朝、始業前打ち合わせのときに宣言した。宣言が今日になったのは、様子を見ていたのだと思う。火急の依頼人はいつなんどき飛び込んでくるかわからない。そして所長は来た依頼を断らない。立場の弱い人たちが行動を起こすとき、それはもう時間的に精神的にギリギリの状態であることが多いのだ。
 だから蓉子は、今日の仕事が終わるまで気を抜かなかった。事務所の中は所長と蓉子以外、何となく浮かれ気味の空気になっていたが、蓉子はそれに乗る気がしなかった。所長は基本的に前言撤回をする人ではないから。つまりは急な案件が飛び込んだ場合、所長がすべて一人で引き受けることになる。少なくともこの土日は、彼女ひとりでその依頼に当たるだろう。もし新しい仕事が飛び込んできた場合、内容によってはそれを自分に任せて欲しいと、蓉子は言うつもりだった。この事務所で働き始めて早8年。気がついたら古参のひとりになっていて、主任と呼ばれる立場になっている。すべては所長のおかげだ。なにか彼女に報いたい、彼女の力になりたいと、蓉子は常に思っている。
 だが、新しい依頼人が事務所の扉を開けることはなかった。そして今日は残業もなかった。終業を知らせるアラームが事務所じゅうに響いたとき、みんなが吐く息で、部屋が一瞬温まったような感じがした。若い子たちはすでにこれからの二日間を考えていて気もそぞろという雰囲気だし、5年以上勤務している古参は蓉子と同じことを考えていたのか、ふぅっと肩の力を抜いたような表情を皆していた。
「はいはい、みんな。良い週末をね。月曜は遅刻をしないようにー」
 と、手を叩く所長に急かされて、蓉子たちは事務所を追い出された。そして蓉子は帰り途中でポインセチアを買って、それを胸に抱えて歩いている。
 ビニール袋の取っ手を持っている時ほどではないけれど、ポインセチアはやはりその存在を、重さでもって主張してくる。足を地面におろすたび、ポインセチアの重みが腕全体に伝わってくる。
――あの人は、聖はどう思うかしら……?
 ポインセチアの“花”に鼻を埋めながら、蓉子はふと思った。
 たぶん喜んでくれるだろう。小さな子供みたいにはしゃいで。そしてとびきりのココアなんか作ってくれるかもしれない。そういう人だから。
――あ……でも……たしか今……。
 〆切の直前の追い込み中ではなかったろうか。昨日も一昨日も、仕事から帰った蓉子を出迎えてはくれ、夕食もそのあとのお茶も付きあってくれたけれど、そのあとは早々に書斎へと引き上げて、蓉子がお風呂から上がってもベッドに潜り込んでも、朝まで顔を見せなかった。朝はいつもどおりに朝食が出てきて一緒に食べた。でも日に日に聖の姿がよれた感じになっていくのに、今朝ふと気がついたのではなかったか。
 蓉子は自分が小さな失敗をしたかもしれないと気がついた。いきなり降って湧いたクリスマス休暇に心躍らされて、肝心なことをすっかり忘れていたかもしれない。
――ああ、なんてこと。
 腕の中のポインセチアがいきなりずっしりと重くなった気がする。蓉子は自分の気分が地中深く沈んでいくのを自覚しながら、地下鉄構内へ続く階段を下りていった。
 地下鉄の中はあたたかかった。早い時間でそこそこ混んでいる電車だったとはいえ、運良く座席に座ることができた。鞄とポインセチアを膝に乗せ、蓉子は地下鉄の生み出す独特な揺れに身を任せていた。
 ぼうっと周囲に視線を投げる。プレゼントらしき包みを抱えた人がたくさん乗ってた。同じことを考える人が多いらしい。
――でも、さすがにケーキは今日ではないのね。
 蓉子はぼうっとしながらそう思った。
 突然、鞄の中からバイブレーションの低いうなり声が聞こえた。なぜかドキッとして鞄をあけ、中をまさぐる。スマートフォンを掴んだときには、バイブは止まっていた。
 スマホを取り出して、画面を見る。メールが一件。
 誰だろう、所長からかしらと表示してみる。聖からだった。蓉子はなぜかドキドキしながら、メールを開けた。
『今日、何時になるの?』
 たったそれだけ。いつもの聖のメール。
 しかし蓉子は気がついた。今日、事務所を出るときにメールをしていなかったことに。
 いつもなら、残業になるならその旨を。終わって事務所を出るときに。電車の遅延。最寄り駅に着いたとき……と、逐一報告のメールを入れるのに。
 なんてこと、と思いながら、蓉子は慌ててメールに返信をした。曰く
『電車に乗っています。現在、●●駅と○○駅の間くらいです』
と。
 やれやれ、今日の自分は本当にどうかしている。終業時間までは通常営業だったのに。いつもと違う時間に街を歩いてクリスマス気分に乗せられてしまったのだろうが、それにしても浮かれすぎだ。
 蓉子は自分がどんどん自己嫌悪の沼に落ちていくのを自覚していたが、どうにもすることができなかった。
 それというのもこれというのも、このポインセチアが悪い。
 そんなことまで思って、すぐにそれを撤回した。いやいや、物に当たってはいけないわ。浮かれて買ったのは自分なのだから。お花はお花。それ以上でもそれ以下でもない。
 電車に揺られながら、ぐるぐるとそんなことを考え続け、じっとポインセチアの赤い“花”を見つめていたとき、それに気がついた。
――あら……?
 蓉子はポインセチアをこんなに間近でじっくり見たことがなかった。クリスマスが近づくと、街のあちこちにあふれ出す鉢植え。その程度の認識しかなかった。子供の頃、父だったか母だったかがもっと小さな鉢植えを買ってきて、クリスマスパーティーのテーブルの上を彩ったあとは、玄関靴箱の上にしばらく飾られていたが、気がついたらいなくなっていて、それ以来自分の家では姿を現さなかった。リリアン女学園高等部のころに、生徒会室である薔薇の館で何度かクリスマス時期に飾られたことはあったが、それはたいがい誰かの所有物で、クリスマスが終わったあとは、学校が冬休みに入ることもあって、その人が持って帰るから、じっくり眺めることなどなかったのだ。
――これ、赤い部分も葉なんだわ。
 発見だった。今まで花だとばかり思っていたその部分には、葉脈がしっかりを備わっている。よく見れば緑色の“葉”の部分と赤の“花”の部分は同じ形をしていて、単に色が違うだけだ。ポインセチアという植物は、「濃い緑の葉と真っ赤の花」ではなく、「下が濃い緑で上が真っ赤の葉」の植物だった。
 では花は? 花はどこにあるのだろう。
 蓉子はポインセチアの赤い葉をに指を這わせながら、葉の付け根へと視線を動かした。
 あった。たぶんこれが“花”の部分だろう。てっぺんがうっすら赤く染まった、緑色のちいさな突起が10個ほど固まっているだろうか。大きく育っているように見える突起の先が割れていて、そこからおしべのような小さなプチプチが見える。そこへ鼻を近づけt、すん、と香りを嗅いでみたけれど、緑っぽい涼やかな匂いがかすかにするだけで、これといった特徴のある香りはしなかった。
――家に戻ったら、調べてみましょう。
 蓉子の好奇心がむくりと顔をもたげる。知らないことを調べるのは楽しい。自分の中でその世界が広がったことを実感できるし、そもそも図鑑や事典を広げて延々と眺めたり、ネットの検索で出てきた結果を目で追うのは、いろんな想像が広がっていくので大好きだ。蓉子は、先ほどまで囚われていた自己嫌悪から脱して、ふたたび心楽しくなっていた。
 好奇心ついでに、ポインセチアをつぶさに見ていく。視線が下に行くにつれて、本当に葉の色が途中から変わっているだけの植物だと、自分の記憶を書き換えていく作業をしているときに、ふと、鉢に刺さった小さなラベルに気がついた。
 四角いプレートの下辺には中央から下に向かって逆三角形の足が付き、その足が鉢の中の土に刺さっている。プレートは紙製で、表面がつるりとしているのは、水やり等で濡れることがあってもある程度は水を弾くようにの配慮だろうか。プレートは蓉子に対してちょっと斜交い気味に立っていて、電車が揺れるたびに、表に印刷されたポインセチアの文字と写真がチラリチラリと見えていた。
 蓉子が注目したのはその裏面。蓉子からは表面よりも裏面の方が見やすい配置になっている。そこにはこう書かれているのが読み取れた。
  【花言葉】…「祝福」「幸運を祈る」
        「私の心は燃えている」「清純」
  【誕生花】…12月25日(赤)
――そうか、だからこれに惹かれたのね。
 蓉子は嬉しくなって、ポインセチアを抱きしめた。
 12月25日は、聖の誕生日。そしてイエス・キリストの誕生日。
 世界が祝福で満ちあふれているその日に、蓉子の最愛の人である佐藤聖は生まれたのだった。
 そう、何を落ち込むことがあろう。聖が忙しいならば、今年は私がご馳走を作ればいい。部屋を片付けて飾り付け、おいしいものを作ろう。『聖、夕飯よ、手を止めて出てらっしゃい』そう言えばいい。出てこれないほど忙しければ、待てばいい。休みは2日あるのだ。何を急ぐことがあるだろうか。
 そんなことを考えているうちに、車内放送が“次は自宅の最寄り駅”だと告げ、電車は滑るように駅に入っていく。減速のGを体に感じてから、蓉子は鞄を肩にかけ、立ち上がった。
 ドアが開く。蓉子も含め、何十人かの人々がホームに流れ出していく。
――買い物は……明日にしましょう。
 なにせ腕の中のポインセチアがなかなか重い。この上買い物までして帰るのは無理だと判断して、蓉子はいつもの改札口に向かった。
「やー。おかえりー」
 自動改札をくぐって外に出ると、機嫌がよく、ちょっと間延びした声が蓉子を出迎えた。
「……え? 聖?」
「はーい。聖さんでーす。……てか蓉子、ずいぶん楽しげな物をかかえてるねぇ」
 聖は笑ってポインセチアをちょっとだけ支えると、蓉子の肩から鞄をひょいと持ち上げた。蓉子は左腕を浮かせて、鞄を聖に預けることにした。
「忙しいんじゃなかったの?」
 歩き始めてから蓉子は訊いた。
「んー? 夕方には終わらせちゃった。がんばりましたよ、聖さんは」
 駅から出ると外気がぐっと冷え込んで、話す息が、白いかたまりを作っては後ろに流れて行った。
「だって、〆切は来週末じゃなかった?」
 〆切のギリギリまでああだこうだと煮詰まってやってる人なのに、珍しいこともあるものね、と蓉子は思った。だから口に出してみた。
 それに対する聖の答えはとても単純明快だった。
「だって、明日明後日、蓉子休みでしょ? 蓉子の事務所、女の人だらけだし、あの所長さん、そういうトコ気を遣う人じゃない。それに……自分の誕生日まで、働きたくないなぁ……って、ねー」
 へへへ、と照れくさそうに聖は笑う。
 まったく、この人には敵わない。蓉子は苦笑交じりに小さく息を吐いた。
 夕方までに終わらせたのは間違いじゃないだろう。それが証拠に、今朝までよれていた雰囲気がすべて解消されて、こざっぱりとしている。どうやら髪も切ってきたようだ。今朝まではボサボサと伸び放題で襟足が肩に掛かっていたのに。
「ねぇ、めずらしいねぇ、蓉子がクリスマス的なものを買ってくるなんてさー」
 てくてくと歩きながら聖が言った。
「そう? そんなことないでしょう?」
「そんなことあります。クリスマスっぽいものを買うのは、もっぱら私のほうじゃない」
 聖がそれを買うのは、自分の誕生日をあからさまに祝われるのが気恥ずかしいからだと、蓉子は知っている。だから自分から、ことさらにそれっぽい物を買ってきて蓉子にプレゼントしたりする。そう、チープな子供菓子が詰まったクリスマスブーツとか。
「これはね、クリスマスだから買ったわけじゃないのよ」
 蓉子は言った。そう、決してクリスマスだから買ったわけではないのだ。それをはっきりしておかねばならない。
「これはね、あなたの誕生日プレゼントとして、買ったの」
「……へ?」
 聖がマヌケな顔になる。よしよし、と蓉子は心から満足した。
「さて問題です。これはなんという木でしょう」
 聖はたぶん知らない。そんなことに気をつかって生きてる人じゃないから。
「えーと……く……クリスマス……あれ? いつもこの時期にしか見ないから、クリスマスに関連した名前だと思うんだけど」
 ほらね。
「えーと……クリスマス・ローズじゃなくて……」
「ポインセチアよ。クリスマスローズは別の花よ」
「……で、のそポインなんとかが、なぜ私の誕生日プレゼントなの? もらっても育てらんないかもよ?」
 聖はそうやって逃げ道をつくっておく。でも、こういうのを育てるのは、実は蓉子よりも聖のほうがうまいのだ。もっとも、聖は在宅で仕事をし、蓉子は外で仕事をしているから、ということも大いに関係しているだろうけれども。
「世話はふたりでやればいいでしょう」
 蓉子は聖の逃げ道をぴっしゃりとふさいだ。
「これね。ポインセチアは、12月25日の誕生花なのよ。だから、あなたに」
 蓉子はにっこりと微笑んで聖を見た。聖はしばらく蓉子を見ていたが、いきなり顔中を真っ赤にして、前を向いたかとおもったら、歩く速度を速めてしまった。蓉子はあわてて聖のあとを追う。
「ちょ、ちょっと……聖」
 追いつけば、聖は困ったような顔で蓉子を振り返った。口の中でなにかごにょごにょつぶやいている。
「なぁに? 気に入らなかったの?」
 それだったらごめんなさい、と言おうとしたとき、聖がこれ以上はないといった情けない顔で、肺からすべての息を押し出すように言った。
「それって……それってさぁ……」
 蓉子は固唾をのんで、聖を見つめる。
「それって……誕生石の指輪みたいじゃない……ちょっと待ってぇ………」
 言われてみればその通り。誕生日のプレゼントに誕生花を贈る。それは誕生日じゃなくても誕生石の指輪を贈ることに等しい行為かもしれない。蓉子は自分が言った言葉を心の中で改めて反芻して、「臆面もなく、なんて恥ずかしいことを言ったんだろう」と気がつき、次に顔の毛穴という毛穴から蒸気が出ているような気になった。たぶん今自分は、真っ赤になっている。
「~~~わかった。よーこさん!」
 聖ががばっと動いて蓉子の腕を下からがっちりととらえる。ポインセチアを抱えている蓉子は身動きが取れなくなった。
「ちょ……な、なんですか、聖さん……?」
 思わず声が裏返る。
 ポインセチアの鉢がプラスチックならあえて落とすこともできたが、陶器の鉢ではそれもできない。なにせ、陶器の鉢ごと気に入って買ってきたのだから。落とせば割れる。それはいやだった。
 眉間にこれ以上はないというくらいに皺を寄せ、渋ーい表情をした聖の顔が、ポインセチアをはさんで徐々に上から下りてくる。人通りが少ない道とは言え、外でキスをされるのは、あれほど嫌だと躾けているのに、聖は今、その禁を破ろうとしている。そして蓉子は動けない。
――もー……帰ったら憶えてらっしゃい。
 家に帰ったら鉄拳ぐーをお見舞いしてやらねば、と思っていたら、蓉子と同じ目線の高さに降りた聖は、渋い顔のまま、ぴたりとその場に止まってこう言った。
「……そのお申し出、謹んで、お受けします」
 ちょっと拗ねた声で、はっきりと。
「へ?」
「だから、末永く、大事にしてね」
 ポインセチアの向こう、聖は相好を崩してニカッと笑った。相変わらず、初夏の太陽みたいな笑顔だった。
「帰ったら、コーヒーと紅茶、どっちがいい?」
 聖が蓉子の腕からポインセチアを取り上げながら訊く。
「そうね……ココアをお願いしてもいいかしら? 少し甘めにして」
「了解。少し甘めのココアね」
「うん」
 聖が蓉子に腕を差し出す。蓉子はその腕に自分の腕をからませる。
 蓉子は繋がった腕だけでなく、全身がほっこりとあったかくなった気がした。
「ではでは、粛々と帰りましょ」
 ふたりは同時に歩き出した。触れているところから布ずれの音が微かに聞こえる。
 それすらも幸せだと蓉子は感じた。
 クリスマス前にお祝いを。
 イエス様と同じ日に生まれた、あなたの誕生日を。
 おめでとう。

 ……愛しい人。
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