へっぽこ・ぽこぽこ書架

二次創作・駄っ作置き場。 ―妄想と暴走のおもむくままに―

『艦隊これくしょん―艦これ―』二次創作SS

かいらう ―赤城と加賀―

かいらう ―赤城と加賀― 本文

 月には兎がいるといい、蟹がいるといい、女の横顔があるという。
 地方や国によっているものは変われども、月には何かがいたりあったりするものらしい。
(――それは、緯度経度によって、微妙に月の見えている角度が違うからなのかしら、それとも、その地その地にいる人間《ヒト》の感性の差なのかしら)
 小さな漆器の杯を手に、南天に浮かぶ丸い丸い月のあばたのような影を見つめながら、正規空母の『赤城』はそんなことをふと考えた。中秋の夜空は雲ひとつなく、星もたよりなく空にとまっている。
 なにを――なぜに――と自分の中に問いかけても詮ない話で、こういう、ふと頭に浮かんだ事象には、さほど意味のないことが多いということを、赤城は、長い経験の中から汲み取っていた。もちろん、意味をつけようと思えばいくらでもつけられることも知っている。しかしそれは、あくまでもあとづけの意味であって、現実的には、意味づけそのものが益のないものなのだ。
 ただ、意味があるとすれば、今日は中秋の名月が夜空を飾る日だということ。ありがたいことに朝から雨がなく、今から空が崩れる気配もない。
 月は、赤城の視界すべてに等しく、青白い光を投げている。
 青白い光が満たされた世界は、夜にもかかわらず、コントラストの高い影をあちこちに形作っていて、かたわらに置いた酒器や団子が乗った脚付膳《あしつきぜん》すらも例外ではない。
 膳の上に杯を置き、酒器を取って杯を満たすと、月をそこに捕らえることもできる。赤城はそのさまを見て満足げに微笑むと、杯には手をつけず、そのまま捕らえた月を愛おしく眺めた。
 虫たちの、薄いガラスで作った玉を転がすような、澄んだ声が満ちる世界に赤城はいる。ときおり風に乗って、小さな喧噪がどこからか聞こえてくる。同時にかすかな火薬の匂いが運ばれてくるから、若く幼い艦《ふね》たちが花火でもしていて、それが風向きによってこちらへも流れてきているのだろう。そういえば、数日前に『明石』がいろんな物資を持って寄港したから、福利厚生品のひとつとして基地に持ち込まれたのかもしれない。
 赤城はちいさく息を吐いた。
 吐き出された息は、やや熱を帯びていた。
 吹く風はやさしいが、冷たい。
 自分たちのために特別に作られたささやかな庵。築庭に面した南向きの縁側。
 虫の声。
 花火らしき微かな匂いがやや季節外れにも感じるが、深まっていく秋を愛でるには、十分な環境だ。
「……ん……」
 赤城の左肩にかかる重みが小さく、しかしごそりと動く。動いたはずみに、夜風にさらされている肌の冷たさと、重みの触れているところのあたたかさが明確になる。
 赤城がそちらに視線を移すと、重みの、鳶色の前髪のあいだから、桑染色の瞳がうっすらと開かれていくさまが見えた。花びらが開いていくようにも見えた。
「お目覚めですか? 加賀さん」
 かすかに微笑んで言えば、声も笑んでいるような響きをまとう。
「……はい」
 声をかけられた加賀は、すぐには起き上がらなかった。やや低血圧ぎみの加賀は、目覚めてすぐには動けない。以前からそうであったが、最近とみにその傾向が強くなっている。
「寒くない、ですか?」
 夢と現実のはざまをたゆたっている加賀に、赤城は声をかけながら、加賀の肩からずり落ちた薄布をそっと元に戻してやる。
「大丈夫よ、赤城さん」
 加賀の声がけだるい。ごそり、ごそりと何度か動いて、加賀はゆるゆるとその身を起こした。
「まだ眠いでしょう? もたれていていいですよ」
 ほら、と肩をゆすって加賀をうながす。加賀はうながされるままに、ゆるゆると赤城によりそい、上半身をあずけた。加賀の重みが赤城にはしっとりと心地よい。
「……花火が咲いているのね」
 ふたたびけだるげな声。風に乗ってまた、火薬のかすかな香りが運ばれてきている。
「ええ。駆逐艦《おちび》ちゃんたちが、浜で遊んでいるようよ」
「そのようね」
 赤城の耳は、加賀の寝息ともため息とも付かない音がをひろった。
「……九三式の音が聞こえないわ」
「……え?」
 赤城は加賀の言葉の意味を探りかねた。
「……聞こえないわ」
 まだ夢のなかにいるのかしら、と赤城は考えたが、すぐにそうではないのかもしれない、と思い返す。彼女を試すことになるかしらと、心に小さな不安が芽生えつつも、赤城は加賀に問うてみることにした。
「あれから何年が経ったのかしらね」
 ごそり、と加賀が身じろぐ。
「……二十七年よ」
 加賀の声はけだるくはあったが、はっきりと正解を告げた。
「この基地で九三式《赤とんぼ》が飛ばなくなってから」
「……もう、そんなに経つのね」
 加賀がすぐに正解を述べたことには安堵したが、流れた年月の長さには、胸の奥がきゅっと締めつけられる。加賀に言ったように、もうそんなに経つのかという思いと、まだそんなにしか経っていないのかという二つの思いが交錯するから。
「私たちもずいぶんと歳を取ったわ」
 加賀の声からけだるさが消えていることに、赤城は気がついた。しかし加賀は赤城にもたれたままで、赤城からは離れようとはしない。赤城はそろりと右腕を上げ、加賀の髪をくしゃりとなでる。
「そうね、外見は変わらないけれど、ずいぶんと歳を取ってしまったわね」
「ええ……このままここで朽ちていきたいわね、赤城さん」
 二人が建造されてからゆうに三十年は経っている。現役の艦としてはかなり長く就役している貴重艦だ。ふたりが貴重艦に列せられている理由は、この基地が後方基地で、艦娘の建造と育成を主な任務にして前線行動がほとんどないためだが、現在の基地司令が二人を手放さずに、基地保留艦にしたからだった。そういった艦がこの基地には赤城たちを含めて十名ほどいて、そのどれもが艦歴三十年以上を数える。老朽化して艦としての機能が維持できなくなり、退役・解体された者も何名かすでにいるが、赤城も加賀もまだしばらくはこのまま就役し続けるだろう。
「縁起でもないことを言わないで、加賀さん」
「ごめんなさい。大丈夫よ、まだしばらくはがんばれるわ」
「ええ。提督はまだあきらめていらっしゃらないもの」
「そうね。まさかあんなにあきらめが悪い人だとは思わなかったわ」
 忍び笑いが二人の口から漏れる。誰も聞く者などいないが、それでも人の噂をするときは、なんとなく秘め事っぽい感じがして、声のトーンを落としてしまう。
「……月が綺麗ね、赤城さん」
 その姿勢では月なんて見てないでしょうに、と赤城は思うが、口には出さない。たぶん加賀は、月そのものではなく、月光が作るコントラストの世界を見て言っているのだろうから。
「ええ。きれいですね、加賀さん」
 加賀の髪をなでていた手をそのままするりと頬に落とすと、ふいに捕まえられて、指をかぷりと甘噛みされてしまった。うふふ、と笑って加賀に言う。
「お腹が空いたのでしょう?」
「ええ、空きました」
 かぷり…かぷり…と甘噛みをくりかえしながら、加賀は悪びれない。
「じゃ、私の手ではなくて、お団子を食べませんか? 間宮さん特製のお団子だそうよ」
「いいですね。では、頂きましょうか」
「食べるならば、起き上がって下さい」
「……赤城さんが食べさせてはくれないの?」
 耳に飛び込んできたのは甘い声。見ると、加賀がとろけそうに微笑んでこちらを見上げていた。
「………」
「赤城さん?」
「……ずるいです。加賀さん」
「そう?」
「ええ。ずるいです」
 そんな顔をされたら、拒否なんかできない。
「……やりました」
 加賀の、小さくはあるが満足しきった声が耳をくすぐる。
「でもダメです。寝転んだまま食べると、お団子を喉につめます。だから、起きてください」
「……わかりました。満足したのでこれ以上の我が儘はやめておきます」
 加賀が赤城から離れ上体を起こすと、触れていたところにヒヤリとした空気が流れ込んできた。しかしぬくもりは、すぐには去らずそこに留まりつづける。
 赤城は脚付膳を引き寄せ、加賀と自分とのあいだに置いた。杯の中の月が揺らめいている。
「さすが間宮さん。見るからに美味しそうです」
「きな粉のかかり具合が素敵ね。お月さまがたくさん盛ってあるみたい」
「であるならば、月見団子というのは、月を食べると同義なのでしょうか」
「そうかもしれません。そうであるといいですね」
 互いに笑いあいながら、漆器の取り皿にひとつふたつみつ…と、団子をのせていく。こころなしか月の光も、やや黄色みを帯びてきたように見える。
 赤城はふと、海の方角に視線を泳がせた。ここからは海は見えないけれど、澄み渡っていて雲ひとつない空に、海が映り込んでいるような錯覚を起こさせる
「加賀さん、私はね、提督のお探しものが、この先も見つからなければいいかもって、思うことがあるんです」
「………」
「そうしたら、これから先もずっとこうやって、あなたとここでこの日に、こうしてお団子が食べられるでしょう?」
「そうかもしれません。でも赤城さん、その発想は少し危険ね」
 加賀の声がひんやりとした空気をまとう。
「ええ、自覚はあります」
 赤城は視線を落とした。そこには皿にのった月見団子が五つ。
「私はどちらでもいいわ。

あの方がお帰りになっても

、きっとこの日のお月見を許して下さるでしょうから」
 加賀の言葉に赤城ははっと顔を上げた。
 長い年月のあいだにすっかり忘れていた。この日のこの行事は

あの方

がやっていた行事だということを。提督はそれを引き継いで……。
「……そう。そうでしたね……」
 加賀に老いの影がしのび来つつあると思っていたが、実際には自分のほうが危ういのかもしれない。
 赤城が自分の慢心をひそかに恥じていると、いつの間にか伸びて来た加賀の手が、頬をするりと撫でた。
「大丈夫。お互いに補いあっていけばいいのよ」
 そうでしょう? 赤城さん……と加賀の目が言っている。
「ええ……そうですね」
 加賀はなにもかも分かっているのだ。老いていく自分たちの行く末が。
 個体が違うのだから衰える部分もそれぞれだということが。
「美味しいですよ、お団子」
 加賀が満足げに言う。頬がゆったりと動いている。
「ええ、美味しいです」
 口の中に入れたお団子は、ほどよい弾力があった。芳醇な香りのきな粉がさらりと口の中でとけ、咀嚼するごとにふたつが口の中で混じりあって、じんわりとしびれるような恍惚感が体を駆け巡っていく。
「この先も、偕老同穴《かいろうどうけつ》であることを、望みます」
 加賀の言葉に赤城は目を見張る。
「ええ……ええ、そうですね」
 赤城は泣きそうな顔で微笑んで、お団子をひとつ口の中に入れた。口の中できな粉がさらりと溶けたが、その味は甘くそしてやや塩っぱかった。  
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